月曜日、
そういえば、今日は祝日の振り替え休日ということで、祝日だったようだ。時がついたのは、昨夜お風呂に入っている時だ。いつも、お風呂に入りながら音声コンテンツを聞いているのだが、週末明けは一気にコンテンツが更新されるため、溜まっているエピソードを消化するために、まだ聞けていないものをチェックする。
「えーと、来週の月曜日は祝日ということで、私たちの更新もお休みとなります」
なるほど!?そうか、そういうことか、とそのタイミングで気が付く。
平日だろうが週末だろうが、お盆だろうが年末年始だろうが、僕は基本的に起きる時間はさほど変わらない。変わっても30分以内の違いだと思う。たしかに、起きるのがしんどいこともあるのだが、だからといって寝過ごすとその後がもっとしんどいのだ。ただこのおかげで、大きく体調を崩すということがない。習慣化の功名だと思う。
体調を崩す、と言えばコロナにかかった時。僕は、5類移行後にコロナに罹患したから、特に食料の配給などもなかった。病院に行くにもタクシーに乗ったらきっと吐いてしまうだろうと思い、8月1日の真昼間に電話した病院まで歩いていくという偉業をなした。感染症だろうが、慢性的な病気だろうが、自分でどうにかするしかない。それが独り身で生きる、ということなのだろう。
というエピソードを思い出したのも、今朝聞いた朝日新聞ポッドキャストで、とある社員の方が僕と同じような体験をしたことを語ってくれたからだ。
東京の集合住宅の良いところは、隣近所とのしがらみが生まれづらいことだ。ご近所付き合いみたいなものは、基本的にない。賃貸物件ならみんな一時の住処だし、1LDKレベルなら尚更その傾向が高い。でも、こういう緊急時、誰も頼れないというのはそれなりにキツかったりする。
今回の番組で語ってくれた人は、僕と多分同い年か1つ上の女性の方なのだけど、結婚願望が今のところ全くないとのことだった。そして、この方が前に言っていたことで、激しく同意したことがある。
「例え将来結婚したとしても、確実に別居婚がいい。関係値的には、マンションに二部屋借りて、ご飯食べる時だけ一緒に時間を過ごして、後はそれぞれの部屋でバラバラに過ごす。これが理想」
結婚願望が0だし、恋愛対象を性別で選ぶことが難しい僕にとって、この考え方は頭に銃撃を受けたくらい衝撃を受けた。
もちろん知っている、そんなことは理想で現実はそうはいかないってこと。でも、僕は将来そういう人が現れたら、やっと事実婚みたいな関係になるんだろうな、と思う。
だから兎にも角にも、緊急時に自分でどうにか出来るくらいの財力と体力は残しておかないと、と思う。朝日新聞で1月から連載が始まっている「8がけ社会」。高齢化がますます進む2040年。社会を支える働き手はもっと必要になるのに、現役世代は今の「8割」になる「8がけ社会」がやってくる。僕も50を過ぎている年齢だから、ぞっとする。
その時どういう人生を生きているだろうか。
もちろん自分で出来ることには限界があるし、昨日のブログにも「自分じゃどうにもならないことがあるし、自分の力を過信する前に、だれかに頼ることも大事」と、そう書いた。
だけれども、今から20年後、頼ろうと思っても病院はいっぱい、そもそも医者がいない、支えてくれる家族は親は死んでいて、子どもはいない。老後2000万円発言も嘘ではないのかもしれない、と思ってしまう。
その時のことを考えると、日々のDaily routineによって自分の健康を維持できていること、そして毎日よく食べ、よく動き、よく寝る、という基礎中の基礎がとても大事だということを実感せざるを得ない。
そんなことを考えたのも、なぜか偶然の巡り会わせで、日々の適度な運動が体にも脳にも精神にも好影響を与えているというポッドキャストの放送を聞いたからだ。しかも2本、別の番組で。
すごくド短期目線でみたら、なんてつまらない日々を、なんてモノトーンな日々を送っているんだ!と見えるかもしれない。でも、これが数年後、数十年後の自分を助けるなら、そして海外に行ったとしても体型や精神を保つ基礎になるなら、全然いいんじゃないかなと思う。その分、脳内はスーパーbusyなのだし。
繰り返しになるけど、私たちは絶対に100%一人では生きていけない。どんなにお金があっても、誰かの助けを借りなければ死ぬ。だから人に頼ることは大事。
それでも、その手前としての自助の精神は持っていた方がいいと思う。
ということで、いま睡眠時間が5時間に届く・届かないレベルになってしまっている状態を、僕はまず改善しようと思う(口だけ・・・?)