HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

1月14日 音を楽しむ

日曜日、

 

 

僕は年長の頃からバスケットボールをやっていた。いわゆるスポーツ少年団というやつだ。そのまま中学を卒業するまで、なんだかんだやり続けていたから、それなりに動けたと思う。

未就学児の時から、他人よりも体が一回りも二回りも大きかった僕は、小学校5年生くらいの時の発育測定で、「肥満児」と診断された。それでも、なぜか球技が得意だったのは、バスケットをやっていたからだと思う。だからバスケットボールをやるきっかけをくれた姉、親、そしてスポ少のコーチには感謝をしている。

でも、他の誰かと一緒に協力してゴールを目指すこと、決まったルールの中で行動し反則があること、短い制限時間で点数を入れなければいけないこと、そして数字で明確に勝ち負けが決まること、こういうことが心の底から大嫌いだった。

残念ながら社会人になった今でも、ルールに縛られたり、短い制限時間で何かに取り組んだり、数字で勝ち負けを判断することが嫌いだ。嫌いなのだがやらなければいけないから、すごくストレスに感じる。

 

そんな僕が頑張れたこと、それが音楽だった。特にピアノだ。物心ついた時からピアノは弾いていた。家には小学館が出しているモーツァルトショパンチャイコフスキーのCDが置いてあり、結局最後に帰ってくるのはそういう音楽だった。

 

楽譜がある以上、ある一定の法則は決められている。汚い音はどんなものか、下手とはどういうことか、みたいなこともある。でも、これが絶対に正しいという答えがない。浸れば浸るほど、どっぷりと浸れる。他者ではなく己、そして作曲者やピアノと向き合う作業である。

幼稚園に行く前にピアノを弾き、帰ってきてからもピアノを弾き、バスケがない時は夜ご飯までずっとピアノを弾いている。ありがたいことに、自宅がピアノ教室だったから、ピアノを習うということに恐れや面倒くささみたいなものはなかった。

基礎練が飽きたらエチュードエチュードが飽きたら合唱の伴奏曲、それが飽きたらクラシックの楽曲、だんだん指が温まってきて、そこに全集中するような感じで、指に心臓があるんじゃないかって思う。

視力が邪魔になる。目に入る情報が、耳から入る音の情報を妨げる。電気を消すと鍵盤まで見えなくなるから、目が良いのに近視用の眼鏡をつけて弾いていたこともあった。その結果、目が悪くなってしまった。それでも楽しかった。

 

もちろん、楽譜を庭に投げつけたこともあるし、ちょうど雪が降っていた冬休みの時にスランプに陥って、庭先に1センチくらい積もる雪の中に楽譜を埋めたこともある。

 

でも結局ピアノを弾いていたのは、文字通り音を楽しんでいたからだと思う。

お金を貯めて次に買いたいものは、1人暮らしの今の部屋に置くピアノだ。いつになるか分からないし、その前に海外暮らしの方が優先かもしれないけど。

 

「魅せる音楽」とか一切考えていなかったあの時のことを思い出したのは、期間限定でYouTubeで見れる東京都交響楽団とピアニスト藤田真央さんの演奏を聴いたからだ。

youtu.be

 

若い方からプロまで、この世の中にはピアニストは測り切れない存在するけれど、僕は藤田真央さんの音、表現が一番好きだ。

パフォーマンスとかそういうのではなく、藤田さんの体と目の前のピアノから出てくる音に、とっても素直に正直に向き合って、それを音楽表現として奏でている感じがする。

まさに音を楽しんでいる、音と戯れている、音の輪郭が弾性の強い球体のイメージ。でも、スーパーボールのように跳ねるのではなくて、ポロンって転がり跳ねるイメージ。

 

ちなみに僕はリスト&シューマンの献呈が大好きなのだが、藤田さんが弾いている献呈はたまらない。

感動するっていうよりも、なんかこう、聞いていて幸せと楽しいとかの感情に満たされる感じがするのだ。

 

そんな藤田さんが、僕が毎週聞いている葉加瀬太郎さんがプレゼンターを務めるポッドキャストANA WORLD AIR CURRENT」に出ている回が本当に素敵。

open.spotify.com

 

目の前のものや、新しいこと、発見に対して自分のスタンスを崩さずに、それを上手に受け入れて対話して、最後は順応してしまう、淡々としているけど実はテンションが上がっている彼の話しぶりからそんな印象を受けた。

音楽もそうだと思う。その時に出会うピアノ、楽団、温度や湿度で、毎回表現は変わってくる。でもそれと正直に対話して、自分の世界とマージしていく感じ。

 

あぁ、音楽家だなぁと改めて思った。これからも彼を応援していきたい。