HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

12月24日 彼女は私だったかもしれない

日曜日、

 

 

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12月15日、少し前だけれど、毎週チェックしている大好きなポッドキャスト番組「Over The Sun」が、いつも通り更新されていた。ただ、この回の放送は事前に告知があり、「東京電力女性社員殺害事件」について取り扱うと、予めアナウンスがあった。

ちゃんと落ち着いて聞きたい、そう思った僕は、やっと今日の午後になって聞く時間を作ることができた。

僕は平成4年生まれ。正直この事件については、何となくは聞いたことがあったくらいなのと、桐野夏生さんの小説『グロテスク』が、この事件をモデルにしていると聞いて読んだくらいの知識だった。

 

この放送を配信するにあたり、事前にリスナーにメールを募集したところ、かなりの数のメールが届いたという。そして、どのメールにも共通していること、それが

”この東電女性社員は、私だったかもしれない”

というコメントである。

 

事件は1997年3月。この時代に東京電力で総合職として働いていた女性、というだけで相当優秀だったんだろう、ということが想像できる。

でも、当時は「会社のために働く」という考え方が当たり前だったし、「男女平等」なんて、特に職場においては、言葉だけで全く存在していなかったと言えるだろう。

だから、メールを送ってきた方々が、大体40,50代の女性で、みんな被害者の彼女と自分を重ね合わせているということを理解することは、難しいことではなかった。

 

まず、今回番組内で紹介されていたメールを書いた方々は、誰一人として「OL」という言葉を使っていなかった。

オフィスレディという言葉、ある意味一般職の女性を指す言葉で、そういうシンボルみたいなものを使って、女性を記号化するようなことをしたくなかったんだろうな、と想像した。

 

そして、何人かの方々は実際に自分自身も体を売っていた経験がある、という当事者だった。

”体を売ってセックスをすることは、むしろ自分を高めるような感じだった”

”体を売ることが自分にとっての唯一のミッションで、それをクリアできることが嬉しかった”

”寂しさを埋めるために、既婚者の年上男性との体の関係を積極的に求めた”

 

どれが正解なんてないと思う。でも、この1人の女性の死に対して、多くの女性が自分を重ねている、ということが当時、そして今の社会を表しているのだと実感。

 

”男性社会の中で、女性社員として劣等感を感じている。家に帰れば、家父長制の権化のような夫が居て、自分の自由にならない”

”毎日一生懸命生きているけど、自分からやりたいことに取り組めているのではなく、毎日振ってくる仕事、家事というタスクをこなしているだけ。自分で自分をコントロールする、自分で自分にミッションを与えるということができていない”

”愛情不足。そんな時、既婚年上男性という超安定した男性と体だけの関係を持つことは、寂しさを埋めるのにちょうど良かった”

 

この事件はもうだいぶ前の話だけれど、女性たちが抱えるこういった葛藤というのは、今も延々と存在し続けていると思う。

そして、昔と同様に、このやるせない思いを拭うための一つの手段として、体を売っている人が男女問わず、少なからず存在していると思う。

 

僕はどう思うか。

 

僕も自分自身に劣等感を抱いているから、例えそれが自分の身なりであっても、一瞬でも求めてくれる人がいるなら、そのために自己研鑽に励もうと思ってしまう。多分、売春的なものに病みつきになるだろう。

 

今の僕も、ほぼほぼその状態だけど、自分がやりたいことなんかできてなくて、やらなきゃいけないことに、コントロールされている日々を送っている。だから、自分に課すミッションとその達成感を味わうという意味では、援助交際をやるかもしれない。今は、今の状況を自分成長させるものだとポジティブに捉えて、なんとか歯を食いしばっているけど、いつまで持つかは分からない。

 

僕は男性的な男性が怖いと同時に、父からの愛情に飢えていると思う。もちろん、一方的な個人的な意見ということは理解した上で書いている。生まれた時から、父親は母、子ども、家庭は顧みず全て自分にリソースを割いていたような人だったから。再婚した今の父も、僕が高校生の時に一緒に住み始めたから、なんか父というより友達という関係だ。

大人からの愛情に飢えてるのかなって思った時もあって、大学進学先が決まってから、入学までの間、男性女性問わず、セックスのためだけに会っていた人とかも、ぶっちゃけ結構いる。どっちもいけるタイプだけど、やはり男性の愛に飢えてるのかな、と結果として思ったこともある。もう、時効だから書いてもいいよね(笑)

そういえば、書いてて思い出したけど、インターンのために単身で東南アジアに1年滞在していた時も、やっぱり寂しくて男女問わず体の関係をもったし、やっぱり寂しさと援助交際は関係するんだなと、改めて思う。

 

だから思うのだ。

 

僕だって、彼女だったかもしれない。僕だって、首を絞められて殺されていたかもしれない。

 

この、東京電力女性社員殺害事件について話す、ということを聞いた時に、どうしてもちゃんと準備して聞きたいと直感的に感じたのも、何か関係しているのかもしれない。

 

彼女は私だったかもしれない、そう思う人はきっと少なくないはずだ。

そして、だからこそ、今そういう生と死の瀬戸際に居る人が存在している、ということに自覚的であり、行動しないと、と思った。