HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

2月24日 行く末は離婚

土曜日、

 

 

「今日の晩御飯はマックでいっか!」

 

僕が小学生だった時、だいたいひと月に一回くらい晩御飯がマクドナルドの時があった。ジャンキーな食事が大好きだった僕にとっては、この上ない喜びの瞬間である。

この日のために、当時はまだ折り込みチラシとして投函されていた、マックの割引券をちゃんと小物入れに閉まっていた。いつ「今晩はマックでいっか」が来てもいいように、ちゃんと有効期限もチェックして、「来週だったらこのバーガーで、もし来週なかったら、こっちかな!」と。とにかく楽しみだった。

 

でも、母にとって、晩御飯をマックにするという選択肢は、疲れてどうしようもない時の切り札だった。シングルマザーとして、午前中はニチイで介護、午後は本職のお花教室とピアノ教室、夜はココスのキッチンでお皿洗いと清掃。これが全部重なる日がずっと続くと、本当に疲れてしまうらしく、小食の母でさえハンバーガーが食べたい、ハンバーガーでいいやとなるのだった。

 

こういう切り札は、ここぞという時に使うから切り札である。もし、これが全然普通のタイミングで使われるようになると、もうそれは切り札ではなくなる。

 

まだ血が繋がっている父親がいた時。彼は不動産会社に勤めていたため、毎週水曜日、そして火曜日または木曜がお休みだった。

基本休みの日の前日は新宿で飲み会。もちろん0時過ぎに最寄り駅までお迎えに来いと母にメールが来る。翌朝はずっと寝ている。お風呂に入らず寝ているから、寝具を全て洗濯しなければいけない。片付かない。シャワーを浴びて、一人優雅に朝食を食べている。彼が起きたら、母はそこから家事の第二ラウンドだ。気づいたらもう昼過ぎ。母の本業が始まる。彼は、ゴルフの打ちっぱなしに行き、ジムに行き、日サロに行き、ホームセンターやスーパーで買えばいいものの、わざわざ酒屋でビールを箱買いしてくる。

 

晩ご飯は出てくるものだと思っている。基本休みの日は家でビールを飲むから、米料理ではなくおつまみとして、複数のおかずが必要だ。本業を終えたころには、僕ももう学校から帰ってきているので、一緒に買い物に行き、晩御飯を手伝う。

 

もうお気づきだろう。だいたい月に1回くらい、木曜日か金曜日、母は寝込んでしまっていた。理由は心身の疲労だ。

 

「母さん疲れちゃったみたいだから、今日の晩御飯マックでいっか?」

 

ある時、彼がそう提案した。

 

僕と姉はそれでもいい。ただ2点問題がある。

倒れて寝込んでいる人間にハンバーガーを食わせる気か?つまり、母に対しては特になにもご飯を作らないのか、という疑問である。百歩譲って何か何か消化の良いものを買ってくるなら分かる。それもしない。だから、僕は「なんちゃって味噌煮込み雑炊」という、味噌汁を作ってそこにお米と海苔、溶き卵を入れる雑炊作りが得意になった。母のためだ。

もう一つ。

「その切り札をお前が使うな」

それは切り札ではない。仕事での彼の働きぶりは知らない。ただ、少なくとも父として、母のパートナーとしての彼を見たことがない。もし、休みの日にぐうたらしてしまうくらい仕事が大変なら、それは会社の問題である。ケア労働を妻側に強いるような働き方をさせる会社が、そもそもおかしい。でも、新宿で休みの前日のたびにお酒を飲めるということは、仕事が切羽詰まっているわけでもなければ、疲れているわけでもないだろう。

 

こうやって崩壊は始まっていく。

 

男性が外で働き、女性が家事をする。縄文時代か?という感じだ。弥生時代でさえ、男女ともに分担できていたはずだ。

でも、男性だけを責めるわけにもいかない。それは、やっぱりそういう働き方を男性に求める会社、社会があることは事実だから。

そして、それを「自己実現のために頑張る」みたいに勘違いしてしまう人もいる。自分の自己実現のために、他人を、家族を犠牲にしていいとは言っていない。

 

ケア労働が偏っていることが、夫・妻どちらかに偏るのはよくない!と言われているけれど、実際はほとんどどちらかに偏っているだろう。

僕は、母がシングルマザーになる前に、その究極の姿を目撃した。そしてシングルになってからは、偏るのではなく家族でシェアしないとやっていけない、ということになった。でも、今考えるとラッキーだったかもしれない。少なくとも、僕がいま所属している会社は、確実に夫婦が平等にケア労働を分担できるような労働環境ではない。

 

ますます僕にとって結婚とかのハードルは高くなるなぁと思うし、これまでこういう風に育ってきたから、結婚して家庭を持つなら、仕事は調整できるものにしたいと思う。その前には蓄えが必要だ、今の世の中。ただ、僕は男女ともに恋愛対象ではないので、きっと結婚はしないと、今は思うけど。

 

シングル家庭になる1年前くらいの頃。

「今日の晩御飯マックでいっか。父さんご飯いらないし」

そう変わって、彼以外の家族は団結し始めた。着々と離婚に向けての準備を始め、母は同じような境遇にいる別の優しい男性(今の夫)も見つけていた。用意周到だ。

 

最後の切り札は、離婚だ。もう全て、何もかも準備をしていた。

伝えた朝、床には当時朝ごはんの時に使っていたマーガリンの「ラーマ1/2」についていた備え付けのナイフが刺さっていた。父ではない、母だ。

 

切り札は、使っていい人が使うのだ。

 

ドキッとした人、いるんではないでしょうか?妻だろうが夫だろうが。

 

こういう過去を見てるから、たとえ僕は男女どちらかに恋愛感情を持つような人間だったとしても、結婚することに対して、自分自身に相当高いハードルを設けていただろうなと思うし、今後結婚する時が来たら、その高いハードルを越えなければいけないとも思っている。

 

難しいね。

 

と、当時のことを、このvoicyを聞いて思い出していた。

voicy.jp