土曜日、
「わたし、最初は自分がバイだと思っていたんです。でも、クィアのコミュニティと出会って、パンセクシュアルだってことに気づきました」
今週からスタートした朝日新聞どspotifyの連動企画「PRIDE CODE」。その第1回目のゲストとして登場したのが、Rina Sawayamaである。冒頭のコメントは、彼女の発言の引用だ。
これ以上同意できないというくらい、僕はこの彼女の発言に共感を抱いた。
僕も彼女と同じように、好意を頂く相手に性別という要素が入らない。そして、もう一つ彼女と同じだなと思ったのが、「Fluid」(流動的)であるということだ。
これはジェンダーフルイドとも呼ぶことが出来て、その時々で性自認が異なるということだ。
例えば、昨夜まではヘテロセクシュアルだったのに、翌朝起きたら自分はゲイだという風に自認している、みたいな感じだ。性自認が流動的なのである。
誤解を恐れずに書くが、僕は浮気することはどうしようもないことだと思っている。僕もジェンダーフルイドみたいな感覚があって、この人素敵だなと魅力に感じる人が仮に女性だったとしても、1週間後とかには全く別の、しかも男性を魅力的に感じていることがある。
だから、特定の個人とずっと一緒に過ごしていく、みたいなことは非常に困難なことなのである。
なんで結婚しないの?って良く聞かれるけど、結婚するということ=鎖に繋がれるみたいで、心の底から苦しいのだ。
性的マイノリティと呼ばれるLGBTQ+に属する人の中には、こういうジェンダーフルイドの人が結構いると言われている。
その一つの要因は社会への順応を求められてきたことだと、僕は思う。
以前までは同性愛は精神障害とされ、病気扱いされてきた。そんな折に、異性と恋愛をする、セックスをするということに対して違和感を得ていたとしても、きっと勘違いだと思ってやり過ごしてきた人も結構いると思う。
社会規範上の性と性自認とが違っていた場合に、社会規範上の性に強勢されることは、纏足とか左利きが右利きに直されるとか、そういうのに近いと思う。でも、後者2つのように体がどうこうっていう話ではないから、まるでカーブの多い山道を永遠と下り続けるバスに乗っているように、気持ちがわるくなってしまう。
僕は小学校、中学校まで肥満児だった。途中からは単親世帯になったし苗字も変わったりして、マイノリティになった。でも、それが良かったと思っている。
なぜなら、そのおかげて近所・部活・クラスみたいな身近なコミュニティで求められることに徹底的に従わないと、絶対いじめの対象になると思って常に気を張って生きてこれたから。だからいじめられたことは一度もない。
そこから解き放たれた大学生活、さらに日本社会から解き放たれた海外生活は、本当に楽しかった。
そして社会人になってから、正直コロナの前までは辛かった。でも、コロナになってから各個人と会社との間に距離を保てるようになり、僕にとっては幸運だった。今の会社も出社だけど、割とみんなどんどん辞めていくし、強制力に耐えられなければすぐにやめられる環境だから、ありがたい。
なんか取り留めもない文章になってしまったけど、今日はこのポッドキャストを聞いて自分自身を振り返った。
4月になって新しい環境になった人は、結構こういう部分で悩んでいる人がいるかもしれない。そういう人に、このポッドキャストの特集「PRIDE CODE」が届いてほしい。
Rina Sawayama、やっぱり好きだ。