HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

6月15日 たましいの回復

土曜日、

 

 

昨夜飲み会だった。一緒にCM作りをやっている広告代理店が開いてくれた打ち上げである。

昨年から毎日何かしらやり取りをしていることもあって、今回が実は初めてちゃんと飲む機会だったのだが、何も心配はしていなかった。

飲み会は想像以上に楽しく、気が付けばもう23時を回っていた。彼ら代理店側メンバーは、この後どこかで飲み直すのだろう。渋谷の地下道に入っていくタイミングで、僕らと代理店側は分かれた。

こちら側の参加者は3人。僕以外の2人は一社目が今の会社ということもあって、会社からあまり遠くない所に住んでいる。中途入社の僕は、社員が多く住んでいるエリアとは全然違うエリアに住んでいて、昨日も一度は地下通路に潜り込んだものの、2名は地下鉄、僕は山手線ということでその場で改めて分かれた。

 

寝不足だったにも関わらず、結構飲んでしまった。それくらい楽しかったのかもしれない。ああ、全然仕事が終わってないから週末またタスク処理だ、とそんな風に意識の向こうで思考が巡っているのを感じていた。

一方で、なんだか最近こういう状態に陥ることが多いということに、ふと気が付いた。要は、飲み会に行く機会が増えているのだ。

お酒は別に好きではない。飲めないわけではないが、飲みたいとは思わない。酔いたいとも思わない。だから、前職の時は誘われても何かと理由をつけて断ることが多かった。

それが今では、遅れてでも参加することが多く、終電さえ間にあえば何時でもということも結構多い。

 

それはなぜなんだろう。

もしかすると、飲んだ後に一人に慣れる時間があるから、なのではないかと思った。

新卒で入った前職は、会社の借り上げ社宅に全員強勢入居させられる。一人一人別々のマンションを割り振られるのだが、最寄り駅は同じかもしくは一つ違いくらいだ。会社の近くで飲んだら、間違いなく自宅の最寄り駅まで、なんなら自宅の前まで飲んだメンバーと一緒になることが常だった。

僕にとってそれは辛いことだった。

僕にとっての安全地帯は、基本的に一人の時間である。もう少し丁寧に言えば、誰かしらが居てもいいが、知り合いでは困る。だれも知り合いがいないネオン街とかなら全然OK。

当時は、飲み会という表の仮面を自宅の前までつけていなければいけなかった。窒息する。

一方で、今の会社に移ってからは、ほぼ100%と言っていいほど、僕よりみんな早く降りるし、割と最初から違う方面に帰ることが多い。

一人になってから自宅に帰るまで、その時間が僕にとっての魂の回復時間なのである。

 

最寄り駅は地下鉄だが、飲み会の場所によっては山手線のある駅が最寄りで、そこから徒歩15分くらいのところに住んでいる。ビジネス街の代名詞であり、コンクリートジャングルを表象したようなその駅は、0時を超えると一気に一通りが減る。

それでもポツポツと高層ビル群には電気がついていて、なんだかそこに郷愁を感じてしまう。それを横目に、人がほとんどいない夜道を歩いて帰る15分。

この時間に僕の魂は洗われている気がするのだ。なんなら、このために飲み会に行っていると言ってもいいかもしれない。

 

基本的に一人が好きな人間だが、夜の集いの雰囲気は別に嫌いじゃない。大人数の飲み会は絶対参加しないが、少人数なら楽しい。結構お酒も飲む。でもそれも、この回復の時間があるからこそ。

 

こういう時間・空間が担保できるのも、東京ならではじゃないかなと僕は思っている。

 

誰にとっても、避難場所や安全地帯は必要で、最近僕はやっとそれが何なのか分かった気がする。