HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

7月19日 飲み会前夜

水曜日、

 

今日は、憂鬱なんだけれど、最後の晩餐を味わうようなそんな贅沢感、幸福感も伴った一日だったと思う。

どういうことか。

 

明日は会社の飲み会が開催される。5月に部内の組織体制が大きく変更されて、これまであまり関わりがなかったメンバーが多く所属するセクションに、僕のセクションは吸収されてしまった。

 

MTGのスタイル、キャンペーンの効果測定の方法、出欠連絡に至るまで、何もかもが前のセクションとは異なっていて、同じ部署なのに全然違う世界に来てしまったと、そんな感じがしていた。恐らくそれは、我々を吸収したセクションのメンバーも思っていたようで、同じセクションだけど、その中に確実に存在している溝に気が付いていたようだった。

 

そこで、コロナも終わったことだし、ということもあり、新体制での決起会を催すことが決定したのだ。僕の所属する会社は、ありがたいことに飲み会への強制参加は一切ない。ワーキングマザーが多いこと、外国籍スタッフも多いこと、中途採用で入社したメンバーが大半であること、こういったことが個々を尊重するのに一役買っていると思う。

 

いつもの僕だったら、もちろん不参加だったと思う。ただ、今の会社に転職して改めて思うのは、同僚と仲が良ければ仕事が進めやすいということだ。こういう機会がないと、全然話さない人もたくさんいるから、これはいい機会だと思って参加することにした。

 

ただ、根はコミュニケーションが面倒くさいと思っている人間である。当日が近づくにつれて、カウントダウンが始まった。飲み会が明日に迫った今日は、とても憂鬱ではあるのだけれど、最後の幸せなひと時のような感じもして、それで最後の晩餐と表現したのだ。

 

学生の時は、実は全然飲み会は積極的に参加する方で、むしろ欠かさず参加する方だった。社会人になるとそれが一気に変わり、基本参加しなくなったのだ。

 

主に理由は2つだと思っている。

 

1つは、自分の頭の中に描く「飲み会で理想的に振舞う社員」を演じなければいけない、という強迫観念があるからだ。

僕はお酒が弱く、気持ちよくお酒を飲むことができない。だから、毎回意識ははっきりしている。そんな状態で、いい社員を演じていると、ふいにトイレに立ち、鏡で自分の顔を見たときに、一気に冷めてしまうのだ。もう何回も経験している。

本当は、超面倒くさいと思っているから、なおさらだ。1回トイレに立つと、もうそこからが毎回地獄なのだ。

 

2つ目は、1人の時間が確保できなくなってしまうからだ。朝昼夕とずっと会社の人と同じフロアで一緒に居て、そして夜まで一緒に過ごし、なんなら二次会、三次会までと言う風に一日中誰かといることになる。

僕は、例えば家族であってもこの状態が無理なのだ。

とにかく、1人で居る時間を確保しないと窒息してしまう。

ありがたいことに、僕の家族は同じ価値観だから、割とみんな一人の時間を大事にしている。旅行に行っても、家族で同じ部屋に泊まることはまずない。みんな別々の部屋に泊まる。

 

だから、飲み会のタイミングだけ顔を合わせるならいいのだが、それまでも、それからもずっと一緒にいるというのが難しいのだ。

大学生の時は、割と自由に過ごしており、ご飯を食べるときだけ、飲み会の時だけ一緒に過ごしていたような友人がいっぱいいたから、ちょうどよい距離感だった。

 

これ、分かってくれる人が居てくれるとうれしいな。