HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

7月1日 神田川

月曜日、

 

 

誰かと一緒に散歩する時間、

休日のゆったりとした朝食の風景、

ソファに座って何気なく過ごしている景色、

行く先を決めず時間にも縛られていないドライブ。

幸せ・豊かさ・優しさは、何気ない日常の中に佇んでいる。

海外旅行に行く、高級フレンチを食べに行く、数億円の邸宅を手に入れる。何かを成し遂げた結果手に入れられる、こういう物理的な幸せよりも、少しだけ丁寧に日々を暮らしてみると見えてくる、小さな幸せ。こういうものに価値を見出す人が、今の時代は増えていると思う。

一方で、僕は幸せな時間・空間というのが怖いという意見にも賛同できる。

幸せな時間は長続きしないからだ。

「ああ、なんて幸せなんだ」と思った瞬間から、この時間が終わってしまうことが怖くて楽しめない。失うくらいなら、最初から経験しない方がいい。幸せを知るは得られないけれど、失ってしまう恐怖も味わなくていいから。小さい頃とか、幸福に包まれる瞬間とかに、ちょっとそういう気持ちになることがあった。

もう一つの理由は、こんな幸せな状態でいいんだろうか、と思ってしまう傾向がある。

安定した生活、かつゆっくりとした生活を送っていたりすると、本当に自分はこのままでいいんだろうかと、より高みと成長を求めてしまったりする。

だからかもしれない。色々と整った先進国よりも、まだまだ整っていないけれど、なんかみんなが上しか見ていないような成長著しい後進国の方が、僕はこれまで住んできて心地よかった。

 

有名な昭和歌謡で、かぐや姫の「神田川」がある。

”ただあなたの優しさが怖かった”

小さな古い3畳一間に暮らしているようなそんな貧乏な生活だけれど、ただ好きな人と一緒にいれること、それがとても幸せなんだという歌詞。その歌詞の最後に、

”ただあなたの優しさが怖かった”

こんな幸せな日々が続いてしまっていいのかと、ここで落ち着いてしまっていいのかと、自分自身に投げかけるような歌詞だ。当時の時代背景を考えたら、納得がいく。

若かったあの頃、何も怖くなかったと言っているように、とにかく後ろを見ないで突き進むような成長の時代、そんな中でここに留まってしまっていいのかということに、怖さを感じている。

 

僕自身は、どちらかというと当時の価値観にまだ近いと思う。

幸せだなぁって思うこと、居心地がいいなぁと思うと、その途端に、よし次だっていう風に考える癖がある。

 

幸せは十人十色。時代背景にも影響されるけど、これまで育ってきた環境にも影響されると思う。

 

幸せや、優しさが、怖いと思うことはありますか?

 

ちなみに今日のこの内容は、このVoicyを聞いて思ったことを書いている。

voicy.jp