日曜日、
前職でお世話になった人がやっている中華料理屋が、中野新橋にある。
中野新橋と聞いて、どんな街か想像がつく人は、あまり多くないんじゃないだろうか。
中野新橋駅は、中野坂上で方南町行きの丸の内線に乗り換えなければいけない、というちょっと不便なところにある。頑張れば新宿駅や中野駅から歩けなくもないが、この暑さでは絶対に無理だ。
前に来たのは2021年の年末くらいだったと記憶している。少しコロナが収まり始めてきていて、会食も制限をすればOKみたいな雰囲気だった。
あれから2年半ぶりにこの街に降り立つ。
ここに住んでる知り合いは、「何もない街だよ」と、いつも笑って答える。
確かにそれは否定できない。
僕がこれまで住んできた場所、今住んでいる場所、以前勤務していた場所、今勤務している場所は、一応オフィス街だったり観光ガイドに掲載されるようなスポットが近くに点在しているような場所である。
それと比べると確かに何もない。たぶん、目的がなければ来ない街だろうと思ってしまう。
ただ、何もないからいいのかもね、とその知り合いが言っていた。
何もないというのは、言い換えれば、特に訪れるべき場所がないということ。つまり、とても静かで住みやすいということなのだ。確かに、ちょっと微妙なエリアにあるにしては、たくさんの人が住んでいるエリアだと思う。
今日は夕方6時くらいになると、風も出てきて空気も乾燥して、なんだか心地よい温度になっていた。そうなると、ベビーカーを押した夫婦、犬の散歩をする老夫婦、スウェットと眼鏡とボサボサの髪型で夕飯の買い物に繰り出した若いカップル、とにかくうるさい、そして走り回っている小学生の集団、などなど多くの人が外に出てくる。
僕が知人宅を出たのは19時ちょっと前。ちょうどいい感じの気温だったのと、あとはもう夏休みに入るということもあり、明日からまた平日が始まるというのに、近くの公園や駅前は結構賑わっていた。
これは、もしかすると中野駅まで歩けるんじゃないか。徒歩20分の距離だし、ちょっと歩いてみる。
するとどうだろう。
ハヤシライスの香り、焼き鳥の香り、バスクリンの香り
住宅街からたくさんの香りが漏れてきていることに気が付いた。
そしたら急に懐かしいという気持ちがこみあげてきた。
実は、社会人になってから最初の5年間くらいは、中野をはじめとする中央線沿線の杉並区エリアに良く出没していた。
東京なのにとても生活感があって、なんか僕の背中を押してくれるような気がしたからだ。
ただ、それからコロナになり、仕事に没入するようになり、その結果役職もつき、そして転職もして、と月日が流れるにつれて、僕はこういうエリアに却って寄り付かなくなっていた。
それよりも、オフィス街や湾岸エリア、新開発エリアに身を置いて、周りの人達に合わせてストイックに働くようになっていった。もちろんこれは無駄じゃないし、その分お金も稼げるようにはなっていると思う。
ただ、今日感じたような懐かしさというのは、どんなにお金を稼いでも、決して買えるものじゃないよなぁと思った。
そして、しんどい時に最後に頼ることができるのは、お金でもない、港区おじさんでもない、懐かしさと思い出なんだろうなぁと思ってしまった。
これからまた中央線沿線に通うことになりそうだ。