日曜日、
職務経歴書、というものがある。履歴書が、表面的なあなた自身の経歴を記載するものであれば、職務履歴書は、実際に仕事としてどういうことをやってきたのか、というものを説明する書類である。
新卒で就職するときにエントリーシートというものがあるが、あれは社会人として働いたことがない学生に対して、志望動機や学生時代に力を入れたことを聞く書類。一方で、既に社会人経験がある人が対象の中途採用に関しては、具体的にどういう仕事をやってきたのか、これが最も重要で、それを説明するための書類が職務経歴書だ。
人生で初めて転職活動をやったのが、今から約3年前。コロナ禍の2021年の時である。実は、ちょっとしたことがきっかけで、今再び職務経歴書を書いているのだ。
〇〇のような業務に従事して××の実績を作りました、とか
私の〇〇のようなスキルや経験が、××のような業務に活かせる、とか、そういう風に具体的に書くことで相手に興味を持ってもらえるようにする。そういうアドバイスが、ネット上には沢山点在している。自分で書いた文章なのに、なんだか全身が痒くなってしまって気分が悪い。
ただ、こういう職務経歴書に向き合ってみて改めて思うことがある。
それは、「売上をどうやって作るか」とか「チームのマネジメント」とか、「戦略立案」とか、そういうことには興味がないんだなぁということ。
もちろん、生粋の日本人である僕は、組織内で求められるのであれば対応はする。実際にこれまでもそうやって生き抜いてきた。ただ、昔から効率性とかチームワークとか、ゲームの攻略とか、こういうものに全く興味がなかったから、どうしても仕事でそれを求められても情熱が持てない。
一方で、
「伝えたいことを、どういう言葉に置き換えて発信していくか」であったり、
「そのメッセージを、どういうクリエイティブに落とし込んでいくか」、そして
「どういうメディアで、どういうタイミングで、それを伝えていくか」みたいな、いわゆるコミュニケーションに関係することには、どうやら熱く取り組んできたようで、かなりのボリュームになってしまった。
こういった領域は、明確な解を出そうと思えば出せるけど、そう簡単に出せるものでもないし、もし出るならそれは忖度やトップダウンという組織構造が背景には存在していることだろう。
もやもやした気持ちを、バスっと切り捨てて、スピードで乗り切る、みたいな思考回路が苦手で、もやもやした気持ちを、もくもくと入道雲のように積み上げていけるような議論ができる仕事が好きだ。
考えてみたら、小さい頃から好きだったものは、答えがないもの、答えを急がないものだった気がする。そして、考えれば考えるほど新しい答えが見つかるようなものだった気がする。
組織に所属する以上、自分がやりたいことができるとは限らないし、むしろ出来ないと思った方がいい。僕だって、前職も今の仕事も、全部が全部好きなことをやっているか、というとそんなの1割くらいかもしれない。
でも、こうやって職務経歴書を改めて読みなおしたり、書き直したりしてみると、どうしてもこだわってしまう自分の特徴が見えてくる。
轍。
色々な軌跡がある中で、色濃く残っているもの。そこに、自分がやりたいことが隠れているかもしれない。この轍が、しんどい時や辛い時に、必ず支えになると信じている。
自分と向き合うことって辛いけど、テキトーに生きるほど人生は長くないから、どこかのタイミングで必ず必要なプロセスだと、改めて実感した。