月曜日、
産まれた時から、うちには猫がいた。祖父母の家には犬もいた。
猫4匹のうち3匹は、日中は外で遊びまわり、夜は家の中でぐっすり眠っていた。一匹は家の中に入れなかった。
どうしてこの猫だけ家の中に入れないんだろう。幼かった僕は、とても不思議に思っていた。
猫エイズだったのだ。家の中に居れると、他の猫たちに移ってしまうから一匹だけ外で飼わなければいけなかった。そのちゃんとした理由を知るのには、時間がかかった。
近所を見渡せば、同じように外にいるガリガリの猫がいた。うちの猫はぷっくりと太っていて、まるで違う生き物だ。なんであんなに細いんだろう。うちで飼ったらいいのに。
犬猫に触れる毎日を通じて、自然と動物愛護に興味を持った。犬猫だけじゃない、鳥や虫、カエルや魚にも興味があった。だから、獣医さんになりたかった。
産まれた時から、家に草木があった。フラワーアレンジメントの講師を務める母の趣味である。
植物が白い血を出すこと、人間や動物みたいにお腹いっぱい水や肥料を与えても嬉しくないこと、土に染みわたる水の音で状態を判断すること、剪定しても捨てないで水差して飾れること。どんどん植物に興味が湧いた。
小学校・中学校になって、僕は塾に行くお金がないということを知った。ウィンドブレーカーを買うお金がないことを知った。新しい自転車を買う余裕がないことを知った。姉は、穴の開いたテニスシューズで関東大会に出ていた。見兼ねてダブルスを組んでいたペアの生徒のお母さんが、部内で募金活動を行った。
貧困というものに興味を持った。24時間テレビを食い入るように見ていた。そこには僕らよりも遥かに貧しい生活を送っているフィリピンのスラムが映し出されていた。足をなくしたカンボジアの少年が映っていた。
それから、東南アジアの貧困に興味を持った。お金を貯めて、フィリピンとカンボジアに3年ほど滞在してみた。外から見るのと、中から見るのは違った。楽しかった。悲しくなかった。みんないつも明るかった。自分の見方が偏見だと知った。
この1週間で、『ガザとは何か』という本を読んだ。
ガザ。直線距離にしたら、ヨーロッパよりも、アメリカよりも全然日本に近いのに、僕らはこの国を知らない。
知らないから、偏見さえ生まれない。興味さえ生まれない。
パレスチナ人の多くの子供たち、女性、若者が殺されていることを知った。それからラジオを聞き漁った。今回の選挙、イスラエルを支持する国に対して何もしない日本の政府には、真っ向から反対する投票を行った。
知っていると、身近になる。身近になると、外側から見ているのではなく、内側に入ることができる。全然見え方が変わる。
ガザについて、何も知らなかった自分を悔いた。知らないことは見殺しにすることなのだと悟った。
僕が、動物に対して、植物に対して、貧困に対して、東南アジアに対して興味を持って行動を起こしたのと同じように、ガザに対しても何かしたいと思った。
知ることは最低限の義務だと思った。