日曜日、
先日(とはいっても、もう2カ月前のことだけど)、日本一のポッドキャスト番組を発表する、『JAPAN PODCAST AWARD』が発表された。この企画では、日本一のポッドキャストアワードが発表されるだけではなく、パーソナリティ賞やドキュメンタリー賞など、幾つかの部門でのアワードも用意されている。今年で5回目を迎えるアワードで、年々ノミネートされる番組が増えている。
今回も大賞に輝いた番組はもちろんのこと、他のアワードを獲得した番組も、番組名は見たことあるけど、聞いたことない番組がほとんどだった。
僕が本格的にポッドキャストを聞き始めたのは結構早くて、高校生の時である。当時は英語にとにかく夢中で、アメリカ・イギリス・シンガポールのニュース番組を聞いていた。目的は単純に英語の勉強である。もう10年以上前のことである。
それを考えると、本当に長い間ポッドキャストを聞き続けている、ということを改めて実感した。
僕にとってのポッドキャストとは何なんだろうか、ちょっと考えてみた。
答えとしては、今日のタイトルに書いた通り、なくてはならないものだ。
まず一つに、僕のメインの情報取得媒体である。
家にテレビがない僕は、日経電子版と朝日新聞デジタル、そしてポッドキャストとVoicyで日々の経済ニュースをインプットしている。でもここ半年くらいは、ウェブの新聞記事を読む時間も正直なくて、全てポッドキャストとVoicyに頼っている感じだ。世の中についていくための手段として、ポッドキャストが大活躍している。
そして二つ目。これは、知らない世界に連れて行ってくれる、アトラクションとしての機能だ。それと同時に、学びの機会を与えてくれる。
何かについて数十分間語り続ける、トークをし続けるということは、ある特定の分野に相当精通している必要がある。語りたいこと、届けたいことが沢山ある人が基本的には長く細く続けていて、そういう人の語る世界はまるで宇宙である。
僕の仕事に関係する広告宣伝領域はもちろん、歴史、農業、ファッション、ジェンダー、若者カルチャー、動物、、、ジャンルに限界がない。
一日聞いていると、何かにアウトプットしないと追いつかないレベルでインプットができる。
三つ目、それは一人じゃないということを感じさせてくれる、精神安定剤のような働きとなっている。
ポッドキャストやラジオが、他のSNS媒体やマス広告と大きく違うことは、顔を出さなくていいことだ。だから、身バレするのはダメだけど、伝えたいことがある、というパーソナリティがたくさんいる。いわゆる、マイノリティの方々である。
セクシュアルマイノリティの方、障がい者の方、日本に住む外国人の方、部落出身の方、など。
僕も性的マイノリティに分類される身として、こういう人が語る日常の出来事が、自分にとってとても身近で、何だか安心する。一人じゃないって思えるのだ。
最後は、2つ目と3つ目の合算にはなるけれど、僕を応援してくれるということ、今のままでもいいんだと、自己肯定感を与えてくれること。
この年齢になると、いわゆる結婚適齢期だったり、そろそろ家庭を築く時期なんじゃないのかと、周囲はソワソワし始める。そんなことは知っている、でも世の中は世の中で、僕は僕。
こういうポッドキャストを配信している人たちは、とにかく何かに夢中になっている人、世の中に声を上げたい人が多く、日々邁進している僕にとって、「いいじゃん、いま目の前のことが楽しいなら、それ突き詰めてみようぜ」って語りかけてくれるようで、元気が出る。
と、ツラツラと書いてしまったけど、毎日支えてくれているポッドキャスト。このアワードが発表されたタイミングで、改めて感謝したいと思った。
いつもありがとう。