HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

6月10日 青山霊園

日曜日、

 

 

昔から墓地に行くのが好きだった。

と言っても、はっきりと記憶に残っているのは、中学2年生くらいの時からだったと思う。もともとは、お化けとか幽霊とか、そういうのが大嫌いで、ディズニーのホーンテッドマンションさえ、ろくに乗れなかったくらいである。良く言えば、想像力が豊か、悪く言えばビビりなのである。

 

高校1年生の時、大好きだった祖父が入院した。それからは、入退院を繰り返していて、2年間くらい闘病生活をしていたと思う。祖父は、まるでそういう状況になることを予め想定していたかのように、死んだらどこのお寺にお世話になるか、ということから、七人兄弟の長男である自分が管理しているお墓をどうするか、まで前もって相当準備していた。

僕が中学生になった時くらいから、ちょくちょくお墓の話が家族の中で話題に上がっていた。それから、実際に入るお寺や霊園を見に行ったり、果たしていくつの霊園にこれから通わなきゃいけないのかと、実際に母とお墓巡りをしたりしていた。

それ以降、春の彼岸、お盆、秋の彼岸、年末年始、何かとお墓に行くようになった。

 

これが功を奏したのか、大学生になって都内に出るようになってからは、都内のお墓を一人で回ることが、僕の一つの趣味になった。

2年間の海外生活を終えて、まずやりたいと思ったことも、お墓詣りだったと記憶している。もちろん、海外でも墓地には訪れていた。

 

今みたいな梅雨でも、蚊が飛び交っている真夏でも、寂しさが増してくる秋の終わりでも、どんな季節でも、僕はお墓が好きだ。

 

物理的にあの光景が好き、というのもある。

平地の墓地でも、斜面になっている墓地でも、墓石がひしめきあっており、かならず植物が茂っている。あの光景が好きだ。

もう1つは、自分の存在がとても小さいものに感じられて、それと同時に今抱えている悩みだったり、他人がどう見ているかだったり、そういった邪念みたいなものがバカバカしく思えるのだ。

 

スピリチュアルは信じないけれど、でもこの世界で、あの世とこの世を繋ぐ場所として、割と候補になるのが墓地だと思う。確かに、そういう雰囲気はあるし、だから好きっていうのもある。

そんな場所で、目の前のことにチマチマ悩んでいたりしたって、そんなことこの人生において、なんにも関係ない、少なくともこの墓地という空間では、誰も気にしてない、死んだらそんな雑念さえないんだから、っていう感じで、清々しい気持ちになる。

後は、他人のことを気にし過ぎる自分が、墓地ではいなくなる。思い切り伸びをして歩ける、文字通りだ。

 

今日は、自宅から少し歩いて、夜7時頃に青山霊園を散歩してきた。日曜のこの時間は最高である。人がいないし、今日みたいな天気だと物悲しい感じがして、ムードがある。

 

そんな折、1人の女性っぽい人がベンチに座っていた。こんな夜なのに、手にはアームカバーまでして、深々と帽子を被り、そしてヒールを履いている。服装も、どちらかというとオシャレをしているという感じだろう。この時間に珍しいなぁと思っていると、手元に赤く光るものと光沢が見えた。

タバコとお酒の缶である。

 

ああ、なんかこういうの好きだなぁと思った。

 

青山霊園は、ちょっと歩けば表参道に通ずるくらい都会の中に広がる墓地である。明るい間は、そこでキッツキツに仕事をしている人なのかもしれない。そんな人が素の自分に戻れる場所が霊園なのかもしれない。

誰も見てないし、見ていたとしてもあの世の住人だし、別に誰も何も気にしない。

 

ああ、好きだなぁこの感じ。ああ、やっぱり墓地が好きだ、僕は。

 

そう感じて、ポツポツと振り出した雨も気にせず、傘も持たずやってきた僕は、ズンズンと歩みを進めるのであった。