月曜日、

僕はテレビを持っていない。いまの家に引越す時に処分してしまった。2020年を機にテレビを見なくなってしまった。きっかけはコロナの報道だ。TVを付けるたびに、
「現在の感染人数 東京都〇〇人」
こういう情報が出回っていて、このまま情報を入れ続けると自分が崩壊してしまうと感じた。テレビ断ちは結構有効で、勝手に情報が入ってくることはなくなった。もともとラジオと新聞が好きだから、必要な情報はラジオと新聞で取れていた。
そんなラジオでも新聞でも、ここ最近毎日熊に関するニュースが紹介されている。大学の構内に出たとか、警視庁ができることはここまでだとか。
僕は野生の熊に遭遇したことはないから、どれだけそれが恐ろしいことなのか想像ができない。でも、成人男性を殺してしまうほどの殺傷能力があるということを、今回のニュースを通じて知って、だいぶ恐ろしい存在なのかもしれないと感じている。
同時に、もし熊に遭遇したらどうするか、どこのだれが熊を駆除するのか、その責任範囲は、など熊を敵とみなして、その敵に対する対策を講じているニュースが多いことも引っかかっている。
僕はこういうニュースを見るたびに、モヤモヤしてしまう。人間の都合だなぁ、と。
いまの文明を作り上げたのが人間だし、他のどの動物よりも強いのが人間。人間中心で回っている世界だから、人間の考え方に基づいて物事が進んでいくのは、当たり前のことである。
でも、ちょっとだけ頭の片隅に入れておいた方がいいと思うことがある。
まずは共生についてだ。
自然との共生について学ぶ機会が極めて少ないと思う。英語が必須科目として小学校から導入したりされているけれど、本当は自然との共生みたいな科目だって、今起きていることを考えたら必須にした方がいいと思う。
特に、これから地球温暖化がもっと進み、異常気象がもっと多発すれば、確実に野生動物が人里に降りてくる機会は増えるだろう。いま、熊に対してやっていることを、他の動物に対してもやるということは、あまりに短絡的な考えだと思う。もっと根本から、共生するための考え方などが体系的に学習、体験できる場が増えればいいなと思う。
こんなことを言っている僕だけど、埼玉と東京、あとは海外で育ってきて、自然との共生を考える時間なんて全然なかった。高校生の時の生物で初めてである。高校生じゃ、さすがに遅い。もっと早くから学べる機会があるといいなと思う。
もう一つは、思うこと、というよりも思いだすことだ。
金子みすゞの『大漁』という詩である。有名だから知っている人も多いと思う。
”朝焼小焼だ 大漁だ
大羽鰮の 大漁だ
浜はまつりの ようだけど
海の中では 何万の
鰮のとむらい するだろう ”
金子みすゞは、物事を反対側から見ることに非常に長けていると思う。しかも、決して難しい比喩や表現などは使わずに、ストレートに表現するところが、僕はとても好きである。
この詩を知ったのは、いつだったか忘れたけれど、文章に関する本を読んでいた時だったと記憶している。綺麗なリズムの文章で、心地よく頭にスーッと入ってくるのだが、だからこそメッセージがストレートに伝わってくる。辛辣なのだ。
熊のニュースを見た時から、僕はこの詩を思いだしていた。
今起きている話、熊の立場から考えたら、ぞっとする話だ。何匹の熊がこれからとむらいされるのだろう。
分かっている、これは理想の世界の話に過ぎない。だからこそ、頭の片隅にでも、こういう意識をしっかりと持っておいてほしいと、僕は思うのだ。
物事を一面から捉えて、それでどうにかこうにかとアタフタしている様子を見ると、正直反吐が出る。
人間がここまで文明を作り上げてきたんでしょう?だったら、もっと深く考えようよ。