HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

2月13日 自由にすること

月曜日

今日はいつもよりも1時間早く8時からの稼働である。というのも、1週間早まった社長会議の資料修正&目線合わせをしなければならなかったからである。

 

普段の月曜日は、むしろ他の稼働日よりも遅く出社して、ゆっくりとアクセルを踏んでいくのだけれど、今日は朝からリモート会議と資料修正の嵐。

 

気づいたらお昼を回っていたし、何度会議を繰り返したことか。。。

まった自分のやりたいように、振舞いたいように行動することが出来なかった。

 

この社長会議なのだが、どういう風に進行するのか、使用言語、自分の座る場所が予め決められている、などあらゆることが初耳だらけで、ミーティングルームに入った後で、かなり緊張してしまった。

自分の出番が回ってくる何分前に待機場所に移動しておく、みたいな独特のルールも僕を一層緊張させた。

 

そのせいもあるだろうし、自分の話す内容が決して僕が言いたいことではなくて、直前までに戦略的に固められた内容(要は、社長に積極的に見せるもの、敢えて隠すものを戦略的に考えること)だったということもあるだろう。

 

まるで自分が操り人形のようになった気分だった。

 

会議を見ていたチームのメンバーはみんな労いの言葉をかけてくれたけど、僕にとっては散々たる結果だった。この経営層が参加する会議は多分四半期に1回はあると思う。多分、場に慣れることが最初のステップだと思う。頑張ろう。

 

この、「自分の自由を奪われる」ということから連想したのが、

昨日ちょうど読み終わった、平野啓一郎さんの『本心』という小説。

k-hirano.com

 

自由死という、自ら自分の命を終わらせる選択権が認められている架空の世界を舞台に、最愛の母親が自由死を選択することがうまく受け止められない主人公の話。

 

死ぬことを選択する、それは各個人の自由なのか、というかなり重厚的なテーマ。

ただ、生きることを強いられることが辛い人もいると思う。

小説の中にもたびたび登場する印象的な言葉

 

”もう十分だよ”

 

自由のない人生をずっと生きていたら、そんな風に思うのかもしれないとちょっと考えた。

 

更に同じ自由という観点で、齊藤彩さんの『母という呪縛 娘という牢獄』も思い出す。完全に自由を奪われた娘が最後に母を殺してしまった実話。娘に自由があったなら、、、。

president.jp

 

自由がないって僕は耐えられない。

 

 

今日一日は本当に自分の意思で行動できなかった。

そういう時は早く寝よう。

 

おやすみ。