月曜日、
「私は大学生活の間、バイトでリーダーとして・・・」
「私はサークルの代表として・・・」
「私はゼミのゼミ長として・・・」
就活の面接になると、途端に全ての人が何かしらのリーダーになる。というのも、多くの企業が求める人物像というものを公表しており、その中に
「リーダーシップ」「主体性」「周りを巻き込む力」
という、いわゆるリーダーとしての体験によって培われるスキルを、明示しているからだ。
ただ、みんながみんな、同じようなリーダーシップや主体性を持っていたら、その組織は一体どうなってしまうんだろうと、ちょっと思ってしまう。
『「能力」の生きづらさをほぐす』を書かれた、勅使川原真衣さんは、その状況を車に例えられていて、ハッとした。
"車は、エンジンだけがあっても走ることはできない。ハンドル、ブレーキ、ウィンカー、タイヤ、ボディ、そしてカーナビのような補助ツールだって必要。能力も同じこと。”
本当にその通りだと思う。突っ走るような人だけが存在していたら、その組織はワークすることができない。それぞれが、自分の適性に応じた能力を活かすことが必要だと思うし、組織側はそれを見出す工夫や姿勢が必要だと思う。
ただ一方で、就活生をはじめとする若手の社員からすると、むしろ多様性とか個性とか、そういうことを求められる方が辛くなってしまうのかもしれない、とも思っている。
私がそうなのだが、集団の中で目立つことが嫌いである。それは、自分自身にあまり自身がないから、他の人たちに混じっていた方が楽なのだ。突出して何かに優れているわけではない一方で、遅れを取らないように必死に努力する。
服装とかも結構当てはまるんじゃないかなと思う。
例えば、僕が就活生だった7年前くらいからかな、
「服装は自由です」
という企業が結構増えてきた。ただ、蓋を開けてみれば9割5分の学生がリクルートスーツに身を包んでいた。僕だってそうだった。
更に入社をしてからも、
「オフィスカジュアルで全然OKです」と、人事から言われると、たいていの若手男性社員は、ワイシャツ+セーター+チノパン、この組み合わせがほぼ100%だった。
本当に自由で構わないと言われつつ、でも周りから浮くのは避けたいという、ある種の多様性を避けるような雰囲気があった。
多様性が大事、一人一人の個性を尊重する、という風に言われていていたとしても、メンバーを管理する側の組織の立場に立つと、画一的な方が管理しやすかったり、評価しやすかったりする。
若手だって、そういうことは分かっているし、目立つことを避けるために、多様性を消すのである。
冒頭で書いたようなリーダーシップに加えて、社会人とか関係なく求められるのは、
コミュニケーション能力、ポジティブシンキング、頭の回転の良さ、とかだろう。
こういうある種の固定化された求めらるスキルをつけようと頑張り続ける中で、その環境についていけなかったり、窮屈に感じて病んでしまう人も、とても多いと思う。
その一方で、こういうものを身につけておけば、とりあえず大丈夫として無意識的に画一化されていく人々もいる。
多様性とか、求められるスキル、とかそういう話の前に、一人一人とじっくり対話する機会と時間的・精神的余裕が持てるといいのかなあと思った。