日曜日、
明日からの1週間が、ビックリするくらい会議が多く、かつ一つ一つが割と重いということもあり、この土日はとにかく徹底的に準備のために使った。
役職が与えられてから、平日は会議に出たり、チームメンバーからの質問・相談に乗ったりと、時間をとってゆっくりと深く考える機会を逃している。
その結果、アウトプットが浅くなっているような気がして、少し自己嫌悪にも陥っている。それを取り戻すべく、この土日は、手を動かしながら、たまに足も動かしながら、あれやこれやと色々と考え続けていた。
考え続けていると、最後は言葉が出てこなくなる。本を読んでいても、文字が入ってこなくなる。頭の中に思考クラウドみたいなものが蔓延っている感じで、あらゆる情報というものが、右から左へ受け流されていく感覚だ。
そんな状態だったのが、このポッドキャストの放送は、耳を傾けてしまった。
ずばり、「考えさせられる」とは何か?という哲学対話の回であった。
3人のメインパーソナリティが、あれやこれやと「考えさせられる」について意見を交わしている。
この「考えさせられる」という言葉が今回のテーマになったのは、そこに違和感を覚えるメンバーからの発案だった。
発案者の彼曰く、「考えさせられる」って、実はそんなに考えられておらず、どちらかというとさぼり気味なのに、割とやってる感を醸し出せるそんな空虚な言葉に思える、とのことだった。
確かにそうだなぁと僕も思う。
例えば、つまらない大学の授業、全く興味がない講演会。こういう時に何か感想を述べなければいけない時、「今日の内容は、とても考えさせられる内容でした」、こんな感じで使うと思う。
「これから取り組んで行こうと思いました」「これから頑張ろうと思いました」「大変学びが多い時間でした」、こういったコメントも同類に入ると思う。
どれもみんな空っぽな感じがする。当たり障りがなく批判の対象にもならないコメント、でも中身が全くない。
「考えさせられた」「これから頑張ろうと思った」などなど、と本当にそう思っているのなら、そういう風に考える自分の価値観を形成した、個人的な経験があるはずだと僕は思う。
そして、自分が自ら能動的に考えたのではなく、相手の話によって考えさせられてしまったのであれば、そう簡単にコメントって出てこないと個人的には思う。呆気に取られてしまう、というかなんど言ったら分からないというかそんな感じになるんじゃないかな。
この「考えさせられました」の嫌なところは、他の同類の言葉に比べて、割としっかりと考えている感が出てしまうこと。このかしこまった感じが、余計にその嫌な感じを助長している。
「頑張ろうっていうけど、具体的に何を頑張るだよ~?」
「色々学びになりました、って本当に思ってる~?」
なんか他の同類コメントは、言われた側も軽く嘲りを込めてリアクション取れるのだけど、「考えさせられました」って言われちゃうと、「そ、そそうですか、、」と、それで試合終了してしまう感じがする。
と、ここまで書いていて思った。
「考えさせられました」って、ある意味、もうここでコミュニケーション終わりにしましょうっていう、そういう言葉なのかもしれない。
間接的に、「もうそれについては聞いてこないでね、もう終わりにしてね」という感じだ。空虚なのにハイソな感じがする。
と同時に、これはある意味今後うまく使えるかもしれない、とちょっと意地悪な発想も生まれた。
本当に嫌いな相手とか、100%興味がないトピックについて話を聞いて、かつコメントをいわなければいけない時、
「考えさせられました」って使ってみようと思う。
皆さんは、「考えさせられました」というリアクションをどう思いますか?