火曜日、
使い古された言葉だし、だれもが大事だと思っていると思う。
自分の弱さを見せる、これがなかなかできなかった。
いつも自分は凛としていなければならない、しっかりとしていなければならない。
そうやって自分の精神を保ってきたと思う。
でも、ここにきてどうあがいても、もうどうしようもなく手に負えない状態が続いている。そんな時、必死で「助けてほしいです」って言ってみると、必死さは伝わるものだと実感した。
「大変だと思うけど、きっと彼なら・彼女なら大丈夫でしょう」
この言葉、何を根拠にそう言っているのだろう。
その人の内側も知らないのに、ただ結果や振る舞いだけを見てそうやって判断している。割と僕はそういう風に思われるタイプで、結果は残していないけど、振る舞いや話し方は割と気を付けている。
だから、いま色々とヘルプを出している中で、まあこいつなら何とかやってくれるでしょ、ってそんな空気が少し漂い始めていた。
そうじゃないよ、僕じゃできないよ、ってそういう風に伝えてみると、実はそういう風に見えていなかったということが分かってくる。
いつも、助けて、助けてだと、イソップ童話のオオカミと少年みたいだけど、いつもはしっかりと振る舞っていてピンチの時にしっかり声を上げる、これは結構効果的なのかもしれない。
とか書いておきながら、そんなことを計算高くすることもできないほど、今はパツパツなのだけれど。