土曜日、
「普段はピアノ教室の方に来ているんだけどね、今日はフラワーアレンジメント教室の方に来るのよ」
今朝、母からこんなラインが来た。母のピアノ教室に通っている小学生の女の子ことである。数年間通っているのだが、ここ最近やっと会話ができるようになったとのこと。特に知的障害があるとかそういうことではないらしいのだけど、言葉で自分のことを伝えるのが、あまり得意な生徒さんではないらしい。
その生徒さんの親御さんから、お花教室の方に参加してもらえないだろうかと、相談があったらしい。
母は美大を出ていることもあり、本業はフラワーアレンジメントのデザイナーの方で、ピアノ教室は趣味から始まって人伝えで広がったなんちゃって教室だ。
毎月作成しているフラワーアレンジメントは、ピアノのレッスンで使う部屋にも飾っているらしいが、その生徒さんはピアノよりも、そっちの方に興味津々だったようだ。
そして、今日、お試しに教室に参加したとのこと。
もちろん基礎基本みたいなところは全く知らないから、作品になっているかとどうかと問われると、明らかに作品ではなかったらしい。
ただ、目を輝かせながら黙々と取り組むその集中力は、これまで見たこともないレベル感だったようで、もう何も言わないで本人がやりたいように作ってもらったとのこと。
結果、うまいとは言えないけれど、エネルギー溢れる作品に仕上がったとのこと。その後で、その生徒さんが描いたという夜桜の絵を見せてもらったらしいのだが、その独特さに、母は息をのんだという。小学校4年生とは思えない、水彩絵の具のぼかし方。
夜と紺色と、月の白い光と、桜のピンクが交わって作られる、何とも言えない艶やかな美しい色彩は、色々な美しさを見てきたのではないかと思ってしまうほど、個性的な美しさだったという。
言葉を発すること、言葉で自分の意見を伝えることは苦手だけれど、その分内側に蓄積している思いは今にも溢れんばかりのボリュームで、その捌け口を求めていたのかもしれない。
母から聞いたこともあったし、ちょうど最近読んでいたこの本でも書かれていたのだけれど、芸術家というのは、溢れ出てくる「これを表現したい」が自然と湧いてくる、その源泉を無理やり作り出しているのではなく、天然温泉のように湧き出てくるらしい。
美術や音楽のような芸術を極めるには、技術基礎力は絶対になくてはならない。ただ、後は感受性と、内側から出てくる表現欲だと、この本を読んで思った。
多分、絵や音楽だけじゃなくて文章も同じなんだと思う。書きたくて書きたくてどうしようもない時って、考える前に指がタイピングしている感覚がある。
でもそういう時は決まって、伝えたいのに伝えられなかったり、キャパオーバーな出来事があって受け止めきれなかったりするときだったり、はたまた何か大きな衝撃を受けた時だったりする。
体が勝手に捌け口を探しているのかもしれない。
僕も母も、そして母方の祖父も、周囲の人に気を遣ってしまうタイプで、言いたいことが言えないタイプだ。だから、本当は人が嫌いなのだ。本当にそう。
それで、どうしても一人になって、ため込んでしまったものを吐き出したくなる時がある。
祖父と母はその方法がテキスタイルやデザイン、僕は今のところ文章やイラストなのかもしれない。
今日来てくれた生徒さん、これからも来てくれるといいなと思う。