土曜日、
この世で一番恐ろしいものは、獣でも災害でも幽霊でもない。生きている人間が一番恐ろしい。
でも、恐ろしい存在になってしまう背景には、恐ろしいと同時に我々の心が脆いからでもあると、感じた。
染井為人さんの著書『正体』。少し前に話題になっていたし、連続ドラマ化もされていて、興味があったけれど積読状態になっていた。ここ最近は、仕事に脳内シェアを奪われていることもあり、読書はもっぱら小説だ。そんな折、手に取って一気に読了してしまったのが、『正体』であった。
この物語の土台となっている大きなテーマは冤罪である。殺人容疑で死刑判決を受けた主人公が、刑務所から脱獄して、追ってくる警察から逃げ続ける逃走劇だ。
最後にこの主人公が射殺されてしまうまで、結局冤罪であることが証明されることはなかった。
脱獄生活中に彼と出会った人々が協力して彼の無実を証明するも、それは彼が死んでからの話であった。
この本のあとがきで、著者は、読者から「主人公を殺さないであげてほしかった」という意見をたくさんもらったと書いていた。なるほど、確かにそうかもしれない。
児童養護施設で暮らし、刺殺された家族を助けようと思ったところを警察に誤認逮捕され、そして最後は冤罪が明るみにならず射殺される。バッドストーリーにもほどがある。
ただ、冤罪の実態を表すためには、こうするしかなかったんだろうなと僕は理解した。もちろん、この主人公のように脱獄する死刑囚は現実的ではないだろう。でも、ずっと無罪を主張し続け、し続けながら死んでいく人だって沢山いるんだと思う。死ぬのは、その本人だけじゃない。その事件が人々の記憶からなくなってしまえば、もう一回死ぬのだと思う。
事件が起きないと警察は動かない。誰かが死んで主張しないと、間違いは正されない。犠牲者を出して初めて動き始める、それじゃ遅いよって思う。
でも、こんなことって誰もが皆おかしいって思ってることなんじゃないかな、って僕は思う。それでも司法はなかなか変わらない。
この話の中でも度々散見されるけど、権力側の都合というか、「正義の味方」と小さい頃に教わる「警察」や「弁護士」も、所詮は人間なんだなと思ってしまう。
でも、それはしょうがない。だって人間はみんなそういう生き物だし、間違いを起こすし、間違った道に進んでしまうことも沢山ある。僕だって、数えきれないくらい自己中心的な行動もとってきたし、時には自分の利益を最優先して、他者を見ないときだってあった。
でも、そのたびに日記を書いて、反省はしてきたつもりだ。文章で書いて自分の間違いを認める、そういうことをやってきた。
警察という大きすぎる組織も、分解すれば人によって成り立っている。どんなに努力しても、間違いはあるだろう。でも、間違いを認めることによって信頼を失ったり、己の権力が失われたりすることを恐れるために、犠牲者を出すこと、そして犠牲者を出したことを認めないのは、それは間違っていると思うし、認識しなければいけないことだと思う。
でも、この本を読んでもっと認識してほしい、認識しないといけないと思ったことは、自分のやっていること、考えていることが間違っていること、正さなければいけないということに無自覚になってしまっている可能性もある、ということだ。
大きな組織になればなるほど、権力構造が明確な組織であればあるほど、その渦中にいる一人ひとりの人間は、自分自身を内省する機会を逃していくだろう。そして、どんどん自分を正当化させていくのだと思う。
人間は弱いから、そうやって無自覚にしていかないと、きっとやってらんないんだと思う。
警察だけじゃない、会社だって、家族だってそうだ。
そして、無自覚に誰かを追い詰め、最後は死へと追いやるのかもしれない。
弱いからこそ恐ろしい、それが人間なんだなぁと、僕自身もちゃんと自覚していきたいと思った一日であった。