HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

1月2日 どんな年として記憶したいか

火曜日、

 

 

年の初めということで、

「今年1年はこんな年にするぞ!」「今年はこれをやるぞ!」のように、目標や抱負を考えている人も多いと思う。普段の月初めと同じなのに、普段の月曜日と同じなのに、この1月1日、それから三が日というのは、なぜか日本人にとっては特別で、これから始まる1年間に対してモチベーション高くしている人も多いと思う。

実は僕、これがとても苦手なのだ。社会人になってから、もっぱら目標を持つ・考えるタイミングというのは、年の初めというよりも四半期毎のタイミングである。

 

前にも書いたことがあるけれど、目標が与えられると、むしろモチベーションが下がってしまって、最終的に良くない結果になることが多い。

もちろん、目標を持つことは振り返りや評価の観点で非常に重要である。23年後半から、マネジメントもやるようになって、期初に立てた目標がメンバーを評価する際の指標になる、ということも実感を伴って理解できた。

 

ただ、目標が与えられると、どうしても委縮してしまう。フィギアスケートでいうところのショートがずっと続くようなイメージだろうか。

社会人たるもの、アウトプット志向である必要があることは重々理解している。ただ、僕の場合は成果より、その成果を出すまでの過程で自分がどれだけ新しいことを学べるか、その結果成長できるか、そしてチームメンバーと関わりあえるか、みたいな方が大事なのだ。

学び、成長、関わりみたいなものは、心から「楽しい!」と思える。だから、大晦日だろうが元旦だろうが、コロナだろうが仕事をしちゃう傾向があったりする。そこに目標が突きつけられると、一気にテンションが下がるのだ。

冒頭に戻る。だから年初や期初みたいなタイミングは嫌いだなぁとずっと思っていたのだが、同じように目標を掲げることが苦手という人が居た。Voicyパーソナリティの田中慶子さんだ。この放送を聞いて、

「なーるほど、そういう風に考えればいいのか!」と思ったことがあったのでシェアしたい。

voicy.jp

 

慶子さんは、コロナ禍にハーバード大学のロバート・キーガン教授が教鞭を取る「精神発達理論」の授業をオンラインで受けていたという。

授業が始まった当初は、教授が

「How are you doing?」と聞くと、みんな「excited!」とか「good to be here!」とか、ポジティブな回答が返ってきていたという。ただ、授業を重ねるにつれて、みんな大変になってきたのか、同じ質問に対して、

「tired」「not so good」みたいな後ろ向きな回答が返ってきたという。

 

そりゃそうだ。その授業は社会人がほとんどで、みんなコロナ禍で四苦八苦しながら仕事も生活もして、そして授業も受けている。精神的に蝕まれるのも無理はない。

 

そこで、教授は聞き方を変えて

「今日は何日?」とまず聞いたという。みんな、頭の中は「?」だ。ただその後に、

「じゃあその今日という日を、どういう風に記憶したいか?今日のことを将来思い出した時に、どういう風に思い出したいか?」と聞いたという。

 

すると、直前までネガティブな回答ばかりだったのが、ポジティブなものに変わったのだという。

 

思考の起点を現状に置き、そこから将来を視点の先として考えると、現在の自分の状況に大きく影響されてしまう。授業の開講当初や、今の時期のような年初であれば、みんなやる気に満ち溢れているから、ポジティブな回答になるだろう。

でも、同じ起点・視点の関係で、現状が少し変わったら、一気に見方や考えがネガティブになってしまうのだ。

 

こういう風に言語化されて、だから僕は目標を持つのが嫌いなのかもって思った。要は、自分が元気な時、モチベーションが高い時に作った目標は、その後の自分から見たら、テンションが全然違うのだ。だから、楽しくないし、むしろ苦しめられる。

 

僕は年中同じテンションで楽しい気持ちでいたいと思っているから、それを妨げるこういう目標みたいなのは、辛い。

 

でも、人間、特に社会人として何かしらの成長や成果を期待されている中で、目標からは逃げることができない。

 

そういう時に、「何を達成したいか」ではなくて、「どういう年として記憶したいか、思い出したいか」と思ったら、ネガティブにはならないと思った。

 

視点の転換である。年始2日目に、いい話が聞けて最高である。今日は、後々思い出した時に、最高な日だったと思い返したいと思う。