月曜日、
雪の中を歩いて帰る。
ザクザクザク、ザクザクザク。高く足を上げて進むと転ばない。
今日Voicyで、とあるパーソナリティがそんなことを言っていた。歩幅を小さくすると、もし転んだとしても軽症で済むらしい。なるほど。僕は案外素直だ。早速実践する。
それでも靴には沢山の雪がついていたようだ。
家に帰って、玄関一面に新聞紙を敷き詰める。タイルの玄関が汚いのは耐えられない。新聞紙の上に、払ったはずの雪をまだつけた靴を置いて、僕はお風呂を沸かす。
湧くとすぐにお風呂に入り、気づいたらのぼせるくらいの時間が経っている。
溶けてしまったみたいだ。
ん?僕じゃなくて、靴についていた雪の話である。
せっかく新聞を敷いたのに、それが意味がなかったかのように、玄関のタイルを濡らしている。
そんな様子を見ていたら、なんだかまるで自分のように思えてきた。
僕も家の外にいる時は、雪や氷のように凝固していることが多い。でも、ひとたび家に帰ると、一気に自分が溶けだす感覚を覚える。
これだから僕は誰かと一緒に住むことはできないし、集団の中で過ごすことも得意ではない。
僕の家族も全員一人が好きな人だから、実家を出るまでは一緒に住めていたようなもので、旅行先でも全員部屋が別という珍しい家族だった。
みんな個別に、それぞれの部屋で溶けるのだろう。
時刻は21時40分過ぎ。
湘南新宿ラインは55分遅延しています、というアナウンスが山手線のとある駅の電光掲示板に流れていた。でも、あまり困っている人はいない様子。
みんな今日は早く帰ったらしい、だから3時くらいが帰宅ラッシュでびっくりするくらい混んでいたと、いつもイブニングニュースを発進しているDJノビーさんが語っていた。
コロナ前に一度東京に大雪警報が出たことがあった。警報が出ると、帰宅命令が出る。それは、当時僕が働いていた会社だけじゃなくて、周りの会社もみんなそうだった。
当時は大手町勤務。一斉に人々がビルから出てくる。きききき、気持ち悪い。人混みが苦手な僕は、結局雪降る中歩いて帰った。
コロナを経た今、こういう時は、そもそも会社に行かなくても良くなった。
世界は、だいぶ生きやすくなったと思うけど、それでも僕にとっては生きづらいなぁと思うことが多くて、靴にしがみついて、溶けまい、溶けまいと意固地になっている雪に自分を見た。
生きやすい世界、それは誰にとっての生きやすい世界なのだろう。
しんしんと降る雪の夜に、ちょっと考えてみた。