木曜日、そして金曜日

文章を書くには脳内にスペースが必要だ。
仕事で使う場所とは別のところにある場所。仕事で切羽詰まっていると、どうしても脳内でスイッチの切り替えが出来ず、文章を書くことが出来ない。
たった文章を書く、それだけなのに。取引先や社内へのメールや文章は作成できるのに、自分に向き合って文章を書く、というそれが出来ない。
この2日間、頑張っても4時間の睡眠を確保することが精いっぱいだった。
「え、早く起きてジョギングなんてしなければ、あと1時間は寝れるでしょ?」
過去に何度も言われたフレーズがこだまする。
そんなことは分かっている。でも、もしここで朝ランを諦めてしまったら、完全に仕事に溺れる気がして、そこだけは必死に抵抗している。
だから4時間なのだ。でも、6時間寝て朝ランを諦めるよりも、4時間睡眠で朝走ったほうが気持ちの持ちようが違うのだ。
それはそうと、この2日間、18時を過ぎるとビックリするくらい欠伸が止まらなくなる。
「えーーー寝ないでーー」と、チームメンバーに5回は言われた記憶がある。申し訳ない。そして、これは自分自身のパフォーマンスにも影響している。
僕は、自他認めるHSPである。周りにも言っているし、産業医にも診断書的なものをだしてもらっているから、周囲は理解してくれている。
だからと言って仕事が減るわけではない。資料を作ったり、自分で分析を進める業務は、がやがやしている日中のオフィスではできないから、もう残業ありきで仕事を考えている。
18時から24時の6時間が、自分の仕事が出来る時間なのだ。
この時間の冒頭から、もう睡魔が襲ってくるとなると、自分の作業も進まない。
「もうこの2日間が終われば休める」
そう思って頑張れた。
でも違った。
14日に大きなプレゼンを控えていて、その準備でずっと忙しかった。それがようやく昨日終わったのだが、実はもっと重い作業が来週、再来週、そしてここからずっと4月頭まで続いていく、というのがここ半月前くらいに判明した。
僕らが走り続けるにはゴールが必要だ。ゴールがない戦い、それが人生である。
知っているさ、そんなこと。だから人生は辛いのかもしれない。
でも、人生にも節目は存在する。入学、就職、結婚、出産、などなど。
こういう節目があるから、僕らはまたそこから頑張ろうって思えるのかもしれない。
これまでは少し違う考えを持っていた。
節目があるから頑張れないのだと思っていた。ゴールや区切りがない方が、むしろ走り続けることができるのではないかと。一区切りついてしまうと、そこからまた重い腰を上げるのが辛いから。まさに、日々のランニングと同じである。これも、一回止めてしまうと、もう戻れないかもしれない。
でも、ちょっと違うかもしれない。ランニングは、心が性急的に求めていることで、仕事はそうではない。
いま、泳いでも泳いでも、永遠に続く水平線を見ている気がする。死ぬまで水平線にたどり着けないと、思っている。でも、きっとみんなそうだ。この大海原をよく見ると、人々の大渋滞が起きている。
でも、ある人は無人島にたどり着いてそこで休憩しているし、ある人はボートで小休憩している。そこからまた頑張って、水平線を目指して泳ぎ続けている。
まだ足はつっていないけれど、腕が動かなくなってきている。
走り続けるためには、節目が必要なのかもしれない。
節目なんかいらない、そう唱え続けてきた自分自身に対して、それからそういう背中を見せ続けてしまったチームメンバーに対して、ごめんね、もそうだけど、労いと感謝をちゃんと伝えよう、そう思った。