HONEST

猫好き・植物好き・ラジオ好きの齢32歳。日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

2月15日 私はあなたではないから

土曜日、

 

 

とあるVoicyの番組を聞いていて、激しく同意してしまったことがある。

それは、他人に何かをレコメンドすることが苦手、ということに対してである。

例えば営業の場面を想像してほしい。

目の前のお客さんが、商品を買おうかな、どうしようかなって迷っている時に、最後の一押しをすること、いわゆるクロージングというアクション。これが苦手なのである。

私自身は、この商品・サービスに対して〇〇のような印象を持っており、△△だと思っています。

これは全然言える。また、お客さんの悩みに対して、この商品ならその悩みをこういう風に解決できるとは思います、とも言える。

ただ、全て最後に「個人的には」と付け加える。だって、あくまで私という人間からしたらそういう評価をしているけれど、それが本当に相手にとってもその通りなのかどうかは、私はその相手じゃないから分からないからだ。

あくまで私はそう思うけど、最終的にはお客様が決めること、それが僕のスタンスである。

だから営業時代の成績は良くなかった。

営業だけではない。部下や知人からの悩み相談に対しても、僕は基本的に同じスタンスである。

「〇〇さん、どうすればいいと思いますか?」こういう風に聞かれると、

「私個人の意見としては、こうだと思います。ただ、僕はあなたではないから、最終的に決めるのは、あなただと思います」というニュアンスで返してしまう。

もちろん、こんなにきつい感じではないけれど、概ねそんな感じだ。

だから、リーダーシップがないと、よく言われる。でも、それでリーダーシップがないと言われるなら、全く異論・反論はない。誰かに何かを強く推奨する、指示するということに全く興味がないことは事実だからだ。

それって責任放棄じゃないですか?と言われることもある。

でも、そのまま返してしまう。人に最終的な判断を委ねることの方が、責任放棄じゃないですか、と。

親子関係だったとしても、ひょっとすると僕はそうかもしれない。

別に親子は血が繋がっていても別の個体なのだから、それぞれが判断すべきだと思う。

「ドライだよね」

良く言われる理由はそこだと思う。でも、そういう考えなのだ、私は。

逆に、ワンマン経営の社長とか、宗教の教祖様とか、ああいうのには絶対なれないと思うとともに、あそこまで他者に対して教えを説くようなことができることに深く敬意を表する。

どうして他人に対して、絶対的にそうしたほうがいい、という風にレコメンドができるのだろうか。

無理だ。

リーダーシップがないとか、トップダウンで降りてきたことに対して全く言うこときかないとか、集団行動が苦手とか、散々言われてきたけど、全部ここに帰結するかもしれない。

自分が抱えてきたモヤモヤがスッキリした。

でも本当にそう、何度も言うけど、私はあなたではないから、最終的なこうしなさいという指示はできないし、判断もできない。私の意見は述べるけど、それが誰にとっても正しいなんて分からない。

だから、最終判断はあなたがするべきだ、と個人的には思う。これもあくまで、一個人の意見に過ぎない。