土曜日、
10月からずっと。そう、役職に就いてからこの週末までずっと。平日も週末も関係なく、僕は自分の仕事に時間を割いている。
「本当にやりたいことなの?」
そう問われると、正直分からないと答えてしまいそう。
ただ、直近任されていることは戦略立案ということもあり、データ抽出や分析が肝の仕事になっている。僕は、膨大なデータに当たったり、それを抽出するのが好きなのだ。
ストレングスファインダーでも、一番強みとして出ていたのが「学習」だった。
その業務によって、何か新しい気づきが得られる、その確証がなかったとしても、データを見たり分析をしたりする、その行為自体が好きなのだ。
週末まで使って仕事をやっているけれど、好きなことをやっているだけ、ついついやっているだけ、かもしれない。
しかも週末は、何かしらのアウトプットを求められないから、むしろそれを楽しんでいる。
そういう体質だからだろう。18日土曜日、本日0時から配信開始となったSNSムービー。
「ここまで色々と準備してきて、果たして本当に配信されるだろうか」昨夜は心配で、無駄に会社に残ってしまっていた。
「夜分遅くに失礼します。無事に配信出来ております!ご報告です!」0:41
「おはようございます!インプレッションが発生しており、無事にターゲットに当たっているようです!」7:21
一緒に取り組んでいる広告代理店の窓口から、夜も朝もメッセージが届く。
「ああ、一体感。ワンチームってこういうことなのかも」と疲れと眠気が吹っ飛ぶ。
窓口の彼は入社6年目でちょうど脂がのってきたところ、というフェーズらしい。頼もしい。だから、そんな彼のやる気にも答えたくて、そして実は会社と会社のすれ違いによって、この代理店と今後は一切仕事をしなくなることが決まっているからこそ、僕も頑張ろう、と思ってしまう。そうして今日も手を動かしている。
そして、そんな自分に高い自己肯定感と、自己効力感を抱いている。
でも、ここ最近音声メディアに触れる中で、どんだけこれが幸せなことなのか、実は視野が狭いことなのかを実感し始めている。
もうすぐいい夫婦の日、ということもあって、最近は家庭ネタが多い気がする。そこで、そういえばこんな放送あったよなぁと思って聞き返したのが「OVER THE SUN」のエピソード29。
”離婚の理由を聞かれた時に”だ。
2021年にこの放送を聞いた時は、僕も離婚をした親の子供、シングルマザーの子供という当事者だったので、離婚経験者の方から寄せられる多くのお手紙の内容に、共感できることや、思わず「ハッ」とさせられることがたくさんあったと記憶している。
でも、いま改めて聞き直してみると、一言で離婚と言っても、そこには定量的に分類して分析などできない、一つ一つの家庭の個別のエピソードがあるということを認識できた。そして同時に、共感できるものもあれば、全然そんな風に思わないっていうお手紙の内容もあった。
ただ、一つ言えること。
それは、一つ一つのエピソードが壮絶で、複雑で。でも、そこから逃げないで立ち向かって生きているということ。
離婚を切り出されてしまうような人、例えばDV夫。でも、そのDV夫には暴力でしか自分を表現できなくなってしまった過去がある。複雑に物事が絡み合って、離婚という結果になっていたりもする。
でも、そんな人からは離れるべきだし、保護する必要もない。同情はいらない。でもそれが子供に与える影響って??グルグル思考は回る。
お金があったらすぐに逃げるのに。世間体をどうしても気にしてしまう。あの時、離婚をしたのは正しかったんだろうか。
これが正解なんてない、それが夫婦だし、家族だし、子育て、なんだと思う。やったことないから分からないけど。
日々これをこなしながら、そして仕事もやっている。時間もそうだけど、脳内シェアがゴッソリ持ってかれると思うのだが、そんな中でどうやって仕事に向き合えているのだろう。
いや、毎日毎日仕事をしているだけで、もう十分だよ。何も求められないなぁと思ってしまった。僕のチームにワーキングマザーが居て、たまに
「え、ちゃんと仕事やってる?」って思ってしまうことあるけれど、
本当にごめんなさい、色々抱えてるんだろうなと思った。そして、その時に話を聞いてあげられなかったことが悔やまれる。独身の僕が話を聞いていいのだろうか、と思ってしまったのだけれど、
「良かったら話してね」っていう姿勢は見せられたのかもしれないよね。
僕の母も、今は二人目のバツイチ夫と一緒になり、今は夫婦それぞれ別々のビジネスをやっている。でも、シングルマザーだった当時は、日中の仕事だけじゃなくて、当時は24時間営業だったココスの夜勤もやっていた。どんどん手首が細くなるのを知っていて、それを当時はふざけて馬鹿にしていたけど、今となったら、あああ、と思ってしまう。
この日記には、特に平日はとにかく仕事量が多すぎて、それに関することや想い、そしてそんな状況でも頑張ろうとして、自分を鼓舞する意味でも、自分の仕事観を肯定するような内容を書いてしまう。そしてこれは今後も変わらないだろう。それが「日記」の役割だと思うから。
でも、
「自惚れんな、自分」
ここに書いておいて、時折見返しに来ようと思う。