土曜日、

中学生だったか、高校生だったか、学校の先生に言われた言葉で当時違和感を覚えたものがある。確か受験か部活の大会か、何かを目前にした時に言われた記憶がある。
「自分なら絶対大丈夫、という風に自信を持つこと。とにかくそういう風に自分に言い聞かせること。根拠のない自信が必ず応援してくれるから」
根拠のない自信、つまり実態を伴っていないが大丈夫だと思うこと、そういうことだと思う。
私はこれが苦手だ。根拠がないと絶対に自信が持てないのだ。逆に言うと、根拠があればものすごいポジティブになれる。
卑近な例で言えば、学校のテストや受験がそれにあたる。自分として全然対策が出来ていない時は、どんなに自分ならできると信じ切っても、絶対にうまくいかない。逆に、かなり入念に準備をしていれば、これ以上できることはない=出来ることは全てやった=だからきっと大丈夫だろう、という根拠が持てるから、いつもうまくいく。
高校受験、大学受験、TOEFL、留学選抜試験、就活、簿記、HSK、転職。全て入念に準備をした結果、納得のいく結果に繋がっている。これらの中でも、準備不足だったものは、基本的に全て結果を伴っていない。
火事場の馬鹿力、という言葉があるけれど、僕はこの力が全くないのだ。
ちょっと振り返ってみたら、幼少期から力を入れてやってきたことは、どれもコツコツやることで身になるものばかりであった。
特にピアノや書道は、普段どれだけ練習をしているかが如実にパフォーマンスに結びつく。コンクールは1回しかないし、書道も決められた半紙が使えるのは1枚か2枚だったから、その時に一番良いパフォーマンスを発揮しなければいけないのだ。
こういう経験があったから、「根拠のない自信」という言葉に違和感を覚えたのだと思う。
実は昨日、自分が発表する予定ではないプレゼンで、急遽代打でプレゼンターを任せられた。普通の会議なら特に問題がないのだが、会社の執行役員と、部署の一番TOPに対してのプレゼンだったから、代打が決まった時は顔面蒼白になりかねた。
案の定、プレゼンはボロボロ。どういうメディアを組み合わせることが、今の事業部の課題を最も効率よく解決できるか、という内容で、一次関数や対数回帰曲線を使って説明したのだが、案の定そこを細かく確認された。
不幸中の幸いだったのは、昨日は会議続きで、落ち込んでいる暇がなかったこと。でも、今日になってずっしり来ている。
自分はやっぱ度胸がない。度胸がない人間が生き残る方法は、度胸がつくくらいコツコツ準備をし続けることだ。ちょっとでも時間があれば、次回ある大きな会議やプレゼンの準備を早めにしようと動き始める、だから長時間労働になるのだ、それは分かっている。
こうやって一生が終わると思うとちょっとぞっとするけど、でも実際みんなそんなもんなのかもしれない。
少なくとも、土壇場に太刀打ちできるための体力は、いつも持っておこう。今日は早く寝よう。