HONEST

猫好き・植物好き・ラジオ好きの齢32歳。日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

6月1日 海外滞在の意義

日曜日、

 

 

別に、今の仕事が嫌いというわけではない。

別に、今の職場で一緒に働いている人が嫌いというわけでもない。むしろ、人に関して言えば、性格が良い人ばかりで恵まれているとさえ思っている。

別に、今の給料に不満があるわけでもない。まあ、もうちょっともらえると、もう少し広い場所に住めるのだけれど。

今の会社の体質があまり好きではない、ということは明確で、これに加えて今自分が関わっている領域で、これからのキャリアを築いていくのかということに漠然とした不安がある。

だいたい秋口から冬にかけて、翌年の戦略を考え始めるのだけれど、いつもそのタイミングになって、この不安が大きく押し寄せてくるのである。

そういう流れの中で、昨年の年末くらいから、ゆるく転職活動をしている。と言っても、積極的に自分から仕事を探しに行っているというよりかは、面白そうなポジションや、有名企業の募集枠にアプライしている感じである。

書類審査で落ちることはないのだけれど、インタビューで基本落とされてしまう。それもそのはずだ。受けてみているのは、いわゆる日系大手企業。時代も変わり終身雇用や年功序列、みたいな考え方はもう古いという認識はあると思うけれど、それでもその慣習はまだまだ蔓延っているような企業だ。

つまり、一度就職したら、基本的には定年まで働いてもらうことを前提としている。そういう企業が一番重視していることは、スキルや経験以上に、転職理由と志望理由である。ここの部分を超えることができないのだ。

インタビューを終えた企業の人事から、エージェントを通じてfeedbackが来るが、いつもここの部分が良く分からない、ということで指摘を受ける。

 

ごもっともだ。志望理由を造りにいっているのだから、それは本当の志望理由ではないのだ。

外資やIT企業みたいな、人の出入りが激しい企業であれば、志望理由よりもむしろスキルの方が重視されているとは聞いたが、僕が選んでいるのは、いわゆるJTC(Japanese Traditional Company)である。

学生時代の就活の時も、基本大手のメーカーに絞って受けていた。

母も、母の父もモノづくり事業の個人経営だったから、僕も漠然とモノづくりにはずっと興味があって、それでメーカーに絞っていた。でも、今考えると、本当にそうだったのかな?と少し思ってしまう。

消費者向けのメーカーというのは、いわゆる非常にイメージがつきやすいから飛びついたのかもしれない。むしろ、メーカーというよりも、生活が安定する、ということの方が大事だったのではないか、と今となっては思う。

 

僕は大学生活の2年間を海外で過ごしている。1年は休学し、もう1年は交換留学で単位互換で卒業している。

1年はカンボジア、もう1年はフィリピンで、どっちもスリリングで楽しかった。ただ、難易度も街の開発レベルもハードルが高いカンボジアの方が、僕にとっては最高の滞在だった。

大きな違いは、給料があったかなかったか。カンボジアではインターンとして月額の給与が支払われていた。日本だったら絶対に暮らしていけない額だが、カンボジアでは現地の人の数倍レベル。一方でフィリピンは交換留学生だったこともあり、当時住んでいた埼玉県からの奨学金と大学からの奨学金が毎月振り込まれるくらいで、それしかなかった。その期間もちろんバイトは出来ないから、いかにそのお金を貯めるか、しか考えていなかった。

 

給料が出たカンボジアでは、それなりの暮らしをして、それなりに遊び、仕事もがっつりするけど、旅行もめちゃくちゃするという感じ。一方でフィリピンでは、行動範囲狭く生きていた。

全て、十分なお金が手元にあるか、そして資金に比例して住居がしっかりしているかどうか、によって影響する心の安定が作用していた。

開発途上国でのNPOとか、ボランティアとか、そういうことに生きがいを見出せる日本人がたくさんいて、こういう人々は自分の収入よりも、何をやっているかに最大限の価値を見出していたと思う。

ただ僕は違ったのだ。まず自分が金銭的に安定し、それが将来的にも約束され、それに伴って住環境が整って、それで初めて仕事や勉強、遊びのモチベーションが生まれるのだ。

開発途上国で一定期間暮らすということは、自分自身に本当に正直になり、自分がどこを最も重視しているかを、否が応でも明らかにしてくれる。

いま転職活動をするにあたって、改めてこういう過去の自分を振り返っている。

 

モノづくりが好きだとか、そういうのは確かにあるけれど、根底に流れている譲れないことは何か、こういう自分に正直になる作業って、心が痛くなるけれど大事な作業だと思っている。

 

改めて、自分に素直になってみよう。