日曜日、

全国の保護者1,200人に対して、学研が最近行った調査によると、将来役に立つと思う教科のトップ3は、算数・国語・外国語だったという。ではスコアが低かった教科は何だろうか。
その中の一つが図工だという。役に立たないと思われている理由としては、図工で習った技術を将来使うわけではないから、将来クリエイターになるわけではないから、などなど。ないがしろにされている最たる理由としては、受験科目の必須科目ではないから、というのもあるらしい。
そう言われてしまえばそうかもしれない。ただ、今日聞いた朝日新聞ポッドキャストに出演されていた現役小学校教師の山内さんによると、それは作品を作ることが図工の目的と勘違いされていることから来ている、という。
確かに教科としての図工や美術と聞いてイメージすることは、いかに良い作品を作るか、ということかもしれない。ただ、実は図工や美術は、結果ではなく、そのプロセスを評価する教科とのこと。
文科省が定めている学習指導要領にも、こういう技術を習得しなさい、であったり、こういう作品を作りなさい、というような規則が実は存在していないらしい。何かを表現する上で、技術は必要になるかもしれない。ただどちらかというと技術ではなくて、思考らしい。
どこに課題を見出して、そういう表現になったのか。
どういう思いがあって、何を表現しようとしたのか。その思いを表現する上で、どういう技術が必要だったのか。
自分の頭の中にある思考、課題、悩み、着眼などなど、作品作りの大元になっているものが何で、どういうプロセスを経て最終的なアウトプットが出てきたのか、こういう流れが大事とのこと。
この話を聞いた時、図工や美術とは自分との対話でもあり、他者理解でもあるんだなぁと感じた。
自画像を描きなさい、という課題は多くの人が経験したことのある美術の課題だと思う。ただ、それ以外に特に指定はないのだ。
色使いも、画用紙を縦に使うも横に使うも、自画像が一つでなくてもいいし、真っ二つに切れていたっていい。技法的に優れているかどうか、とかは関係なくて、最終的な作品に仕上げるにあたって丁寧に自分自身と向き合ったのか、ということが問われている。だから、作品を仕上げるのにはすごく時間がかかるし、自分と向き合えない人、何かに課題意識や問題意識がない人は作品を描けないと思う。
前に、二宮敦人さんの書籍『最後の秘境:東京藝大 天才たちのカオスな日常』という本を読んだときに、二宮さんがこんな風に語っていた。
藝大の、特に美術学部に入る人達は、常に内側に沸々とした源泉みたいなものが湧いている。それが問題意識なのか、強い拘りなのかは分からないけど、とにかくその源泉を表現するために作品を作っている、と。
うまい・へた、とかそういう話ではなくて、やはり着眼や思考のプロセスが作品作りの根底にはあるのだと改めて実感。
そして、作品を見たときに、「この人はどういうところに問題意識があって、こういう最終作品になったのだろう」という、相手を理解しようとする営みも発生するのが、図工・美術なのだと思った。
すごく表面的に言えば、図工や美術は役に立たない科目かもしれない。でも、どう足掻いたって一人では生きていけない私たち人間社会において、自分と丁寧に向き合って、外側に対して表現を発信していくこと、同時に他者の表現を理解しようとする姿勢を学べる図工や美術は、人生を豊かにする上では必要不可欠な科目なんだと思う。
役に立つって、何?