日曜日、

あまりにも無意識的に過ごしている、それが日常。その字の通り、常日頃繰り返している他愛ないもの、それが日常。だから、いつからその日常が始まったのか、気が付くことは難しい。だけど、その日常がなくなった時は、生活に大きな穴が空いてしまったような感じがする。だから、もっと日常を大事にしないといけない。そう思った。
台風が去ってから、朝晩が涼しい。毎朝ランニングをしている僕からすると、それだけでテンションが上がる。昨夜は冷房もいらないくらい涼しかったから、夜も軽めのジョギングに出かけた。軽めのはずが、結構なスピードで走ってしまい、だいぶ疲れてしまった。
でも、その疲れ切った体を浴槽に沈め、ぼーっとする何でもない時間が心地よい。そんな時にInstagramをいじっていると、友人の結婚式の映像が流れてきた。友人の余興を映したものだ。その友人(とやら)は、槇原敬之の『僕は君の宝物』を歌っていた。
何と懐かしい曲なのだ、、、。当時、この優しい歌詞と、体が少し痒くなるような幸せそうな情景描写に心を打たれ、何度も聞いた曲であった。
”神様 ねぇ もし僕が
彼女といること
あたりまえに思ったら
力いっぱい つねって下さい
幸せの意味を忘れぬように”
最初は友人としての関係から始まり恋人になり、そして結婚して人生のパートナーになったのかな、と想像できる歌詞である。これまでお互いの日常の中には居なかった存在が、今は互いの日常の中に存在している。それはあまりにも自然で、そしてもう今では無意識的に日々を一緒に過ごしている。だからこそ、ついついお互いへの感謝の気持ちや「愛してる」の気持ちを蔑ろにしてしまう。でも、決してこの日常は自然発生的に生まれたものじゃなく、僕にとってはあなたがいて、あなたにとっては僕がいて成り立っている唯一無二のものなのだから、もっと大切にしていこう、
そういう歌詞なのかなと思った。
”みんないつか大事な人に
「愛してる」とテレずに 胸をはって
言えるその日が 来るように
頑張ってる気が するんだ”
まさにこの部分が表しているのだと思うのだけど、なんで淡々と日常を送っているのかというと、それは大事な人に対してちゃんと自信を持って自分の気持ちを素直に伝えられるようになるための準備をしているからである。何気ない日常の中に、こういうピリオドを打っていくことで、昨日までの日常と、明日からの日常がまたちょっと変わってくるのかもしれない。
一方で、新しく生まれてくる日常もあれば、なくなってしまう日常もある。日常を強制的に終わらせるものの一つが戦争だ。ちょうど、朝日新聞のポッドキャストで、特攻隊に行った人の遺書について触れられていたのを聞いた後だったので、マッキーのこの曲がこんなにも胸に響いてしまったのかもしれない。
特攻隊の遺書の多くは、お世話になった家族や、これから一緒になる予定だった恋人への感謝や悔しさが表現されているものが多い。でも、自分は国のために真っ当なことをするだけだと、自死を正当化せざるを得ない空虚な高揚に満ちた思いが文章の裏側から伝わってきて、切なく苦しい気持ちになることが多い。
そんな遺書が多い中で、日常の生活シーンを切り取ったものも存在している。
ポッドキャストで紹介されていたものは、戦地のお父さんと、日本に残された家族とのやり取りだ。
”この前の節分で豆まきをしました。ちゃんと上手にできました。お父さんの分も残しているから、帰ってきたら一緒に撒こうね”
”豆まきができて偉いね。お父さんもこっちでちゃんと豆まきをしたよ。だから、お父さんの分は残さないで、みんなで撒いて大丈夫だからね”
これが遺書として残っているということは、お父さんはもう帰ってこなかったんだと思う。きっと昨年までは、節分の日は家族みんなで豆をまいていたのだと思う。だから、今年もこれまでと同じように豆をまいて、そして来年もまた豆をまこうと思っていたのだと思う。お父さんと一緒に。でも、翌年その日常は来なかった。お父さんがもういなかったのだ。
豆まきなんて、1年の中では本当に些細な小さな出来事に過ぎない。でも、お父さんがいない豆まきは、昨年までのそれとは全然違うんだと思う。こうやって、何気ない日常を奪っていくのが戦争なんだと改めて感じたエピソードだった。
新しく始まる日常、突然去っていく日常。どっちにしたって、その日常が当たり前になっている時は、僕らはその意味に気づかない。だから、マッキーの歌詞にある通り、今の日常を当たり前のものとしてテキトーに過ごしてしまっているのなら、ちょっと自分をつねってみて、違うんだぞ、って言ってあげるようにしたい。
そう思った。