火曜日、

「女の子なんだから、夜道気をつけなさいね」
この発言を聞いて、特に何も思わないか、何かモヤっとした違和感を感じるか、どっちだろうか。私たちが持っている性に対する無意識のバイアスについて、朝日新聞の記者たちが交わしている会話が非常に興味深かった。この会話を通じて思ったことを今日は書いてみたい。
この会話がされていたのは、朝日新聞のポッドキャスト番組。今月の頭に発生した兵庫の女性刺殺事件について話していた時のことだ。この事件は、24歳の女性が、家まで尾行してきた男性に、マンションの敷地内で刺殺された事件である。
女性という立場上、どうしてもストーカーの被害に遭いやすいということは言えるだろう。一方で、男性側も、そういう意識が全くなくても、男性という立場上、何かしらの加害性を持っているのは確かだ。だから、自分の立場をわきまえて、犯罪に巻き込まれないように気を付けるというのは、どちらの立場においても大切なことだと思う。生まれつきもっている生物的性別によって、相対的に被害に遭いやすい、相対的に加害側に周りやすいという可能性を持ってしまっていることは、やむを得ない。そこに対して、僕はとやかく言うつもりはない。
ただ、「女性だから夜道に気をつけなさいね」という言葉に対して、僕はどちらかと言うと、モヤっとしてしまうのだ。
女性男性って別に関係なくない?と思ってしまうのである。
少し話を広げてみたい。
この会話の中でも話題になっていたが、性別によって勝手に判断される事象は山ほどある。
・重そうな荷物を持っている女性がいたら、男性なら助けるべきだ
・男なんだから泣くんじゃない
・男なのにピアノが弾けるなんてすごいね
・女なのにサッカーがうまくてかっこいい、などなど。
それから、僕がまだ小学生だったころは、なぜか部長や委員長、生徒会長という何かのトップに立つのはいつも男性で、そのサブに就くのが女性という構図が普通だった。
こういう一つ一つを改めて考えてみると、おかしいことだらけな気がする。
重そうな荷物を持っている女性がいたら、男性女性関わらず助けるべきだし、だれでも泣いていい。楽器もスポーツも、そこに男女の条件は特にない。
僕が今でも覚えているのは、育ての父に言われた一言である。
「男なんだから、母さんを泣かせるなよ」
ん?この発言には違和感しかなく、中2だった僕は猛反論したことを覚えている。そういう言い方をする人の発言は、性別関係なく軽蔑すると伝えて、それから1カ月くらい口をきかなかった覚えがある。
僕自身、性自認は男性だけど、恋愛対象がどっちでもないということもあり、性のゆらぎの周縁に生きる1人として、性別を軸に全てを考えるみたいな言論や思考に耐えられないのである。
だから、今回の刺殺事件を受けて、これを起点に考える性に対する無意識のバイアスは非常に興味深いトピックであった。
性別の前に、同じ人間であるということを。凝り固まった考えをお持ちの方には十分に理解して頂きたい。