HONEST

猫好き・植物好き・ラジオ好きの齢32歳。日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

10月11日 たかがお金、されどお金

土曜日、

 

 

いつもこの日記を書いている時は、僕のiPhoneのプレイリストに入っている音楽をランダム再生して聴いている。いま流れているのは、「Always 続三丁目の夕日」のメインテーマソングである。Alwaysシリーズ3部作、どのシリーズにおいても家族の絆がテーマになっていると僕は思う。どんな家族でも、どんな時代でも、人との繋がりが生み出す幸せについて描かれている。

「幸せとはなんでしょうなぁ」という、三浦友和演じる宅間先生の台詞が、この映画が視聴者に投げかけている問いだと、僕は思っている。

どんなにお金があっても、皆があこがれるような仕事に就いたとしても、それは本当に幸せと呼べるんだろうか。幸せとは、強い絆を感じられる瞬間なのではないか、この映画を観た後はいつもそう思う。

ただ、実際のところはどうなんだろうと、個人的には思ってしまう。

幸せだなぁと感じるためには、まずベースとして自分の心身が整っている必要があると思う。感情のベースとなる自分自身が崩れていたら、幸せは感じられない。では、その基礎を作ってくれるものとは何なんだろうか。

東京でずっと暮らしている僕にとって、それはやはりお金なのだと思う。

僕は大学時代、1年をカンボジア、もう1年をフィリピンで過ごしていた。前者はインターン、後者は交換留学である。カンボジアは僕にとって人生で初めて一人暮らしを経験した場所で、初めて家探しも経験した場所だ。もちろん、海外の長期滞在も、インターンシップ自体も、日本人以外の人と一緒に働くことも初めてだった。何もかも初めてで、本当に最初は辛かった。ただ、この期間、インターン先から毎月給料をもらっていた。しかも、現地からしたら、相当高水準である。

もちろんお金が全てを解決したとは言わない。ただ、色々な心配事がある中で、お金という部分では一切心配がいらなかったのだ。でも、お金は直接的にも、間接的にも生活のあらゆる部分に紐づいていて、結果としてベースとして僕を支えてくれていたと思う。

言質の語学学校に通えたのも、積極的に旅行に行って人脈を広げられたのも、会食にも躊躇なく参加できたのも、バイクを買うことができたのも、全部全部お金の心配がなかったからである。

一方でフィリピン。自治体や大学から給付金をもらっていたけれど、カンボジアほどではないし、航空券や保険も全て会社負担だったインターンとは異なり、留学は全て自費だ。だから、給付金も全て必要経費として溶けていった。そうなると、手元で自由に使えるお金はわずかとなり、まずベースを安定させるために生活のあらゆる部分に制約がかかる。

カンボジアでの一人暮らしや仕事を経験していたから、フィリピンの交換留学は、学校の勉強も非常に簡単だったし、英語も最初から全く苦じゃなかった。言いたい事が伝わらないこともないし、聞き取れないことも皆無だ。

ただ問題は、全ての行動の起点に、「でもお金がなぁ」があることだ。別に実家が太いわけでも何でもないから、結果としていつもみすぼらしい思いをしていたと記憶している。

こういう経験から、「幸せだなぁ」と感じるためには、まず大前提として、自分の体、そして金銭面での心配事がないことが大事なのだと思っている。

Always三丁目の夕日で語られていることは、ごもっともだ。世の中みんながあの水準であり、生まれてから死ぬまであの世界で生きていくのであれば問題ない。でも、少なくとも僕はずっとここ東京で生きていくだろう。そしたら、間違いなく、基礎的なお金がないことには心が元気ではいられないのだ。

 

実はちょうど、最終面接をクリアした企業とのオファー面談が今週あった。転職platformでは、年収800万円~1000万円と書かれていたし、まあそれくらいなら別にいいだろうと思っていた。

しかしいざオファー面談で提示されたのは、それよりもはるかに低い金額で、理由を尋ねると、面接の評価ではなく年次であるという。僕くらいの年齢だと、その企業だとそれくらいが基本なのだと。

世の中的には相当知れ渡っている大企業だし、職種自体も非常に興味深いのだが、過去の自分の経験を考えると、僕はこれを受け入れることはできない。

こういう心の葛藤をちょうど経験した矢先の、Always三丁目の夕日のメインテーマである。何という偶然だろうか。

今一度、自分にとっての価値観を再確認する良い思考循環になった。